わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『白暗淵』読了

「鳥の声」。太古の、鳥の声による占い。それが頭上の右から聞こえるか、左から聞こえるかで吉凶を占うこのイメージが、戦時中の降下してきた戦闘機の攻撃の記憶や、登山の途中での虫の知らせ、やはり登山のさなかで鳥の声に救われ男、彼と交際していた女が感じていた漠然とした凶事の予感、同棲生活の中で現れた電柱に止まる青鷺、次兄に聞かされた占い…と、解体され、この短編のあちこちに分散してゆく。
 白い暗淵、静かなる狂騒、けたたましい静寂。この矛盾こそが案外、生きるということの本質であり、イメージのゆらぎの中にこそ人生が像を結ぶ……年齢や性や時代を超えて。
 作品全体は硬質で難解な表現の多い文体で確固たる古井世界が構築されているが、『辻』や『野川』のように、老いの向こう側にある、そして実は自分の目の前にある、意外に身近だが到達できそうでなかなかできぬ死後の世界に易々と足を踏み入れてしまうような感覚は本作では弱まっている(そうでもないか…)。しかし、現実に存在する相対的な要素、矛盾としか言いようがないものを様々な角度から描くことで、現実の現実としての虚構化とでも言おうか、そんな不思議な読後感に襲われ、わけがわからなくなる。まあ、なんとも奇妙な作品。これもまた、古井の新境地であることには違いない。

白暗淵 しろわだ

白暗淵 しろわだ