わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

やりちんこぞう

 六時三十分起床。ここ一ヶ月近く、目覚めるとまずテレビの電源を入れ、NHKのニュースをチェックするのが日課になっていた。今朝もその段取りは変わらない。時間帯によっては交通情報だったり天気予報だったりするが、八割くらいの確率で震災関連あるいは原発関連のニュースに当たる。被災者のレポートを見ると元気になりつつあるようでよかったと思ったり、まだまだ以前の暮らしには戻れないと心を痛めたり、と振れ幅が激しくなるのだが、原発関連の場合はかなり異なる。事故発生当初から、冷却装置の復旧と放射能汚染の防止に取り組む東電の方々を心の底から応援したいと思っていた。その気持ちは今でも変わらないはずなのだが、映像を見ながら一喜一憂するようなことがなくなっている。むしろ、自分自身を励ますつもりで映像に食い入っている。事態が悪化すれば、大丈夫、なんとなる、という言葉がふわりと口をつくが、それが誰に向けて発せられているのかが、自分でもわからない。放射能への不安から出た言葉であり感情であるのか。その不安を自分は本当に感じているのか。不安を隠すために楽観的な言葉を使って逃げ道をつくろうとしているのか。自己分析(などできるわけがないと実は思っているのだが、そこにはあえて目をつぶった状態で)をしてみるに、自分は放射能をさほど不安に思っていない。世間であれほど騒がれているのがさすがに他人ごととは思わぬものの、遠いことのように思えてしまう。ならばなぜ、「大丈夫、なんとかなる」という言葉が湧きでてきたのか。ひょっとしたら、その遠いところにいるように感じる世間に向かって発しているだろうか。だとすれば、自分は東電原発を信頼しているのか。わからない。ただ、応援したいという気持ちはある。そしてその気持ちが、自発的な想いから少しずつ義務的なもの、あるいは祈りのようなものに変化しつつあることに気づいてもいる。この変化。「大丈夫、なんとかなる」という言葉は、ここから出てきたのかもしれない、とこの文章を書きながら思った。
 小雨がぱらついている。風はやや強い。午前中は掃除。「メレンゲの気持ち」を見ながらスパゲティ・ボロネーゼで昼食。火野正平が出ていた。昔、雑誌「宝島」の名物コーナーVOWの変読コーナーで「火野正平」を「やりちんこぞう」と読ませていたのを思い出した。
 午後より仕事。少し頭痛。
 夕方、散歩を兼ねて買出し。玉ねぎ、牛すじなど。松庵にできたベーグル屋「ポチコロベーグル」でプレーンベーグルと震災義援クッキーを購入。オープンしたてだが、大人気で超品薄状態だった。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1319/A131907/13124454/
 夕食は牛すじカレーをつくった。圧力鍋を使って牛すじをトマトジュース、酒、醤油、生姜、にんにくとともに煮込み、玉ねぎをあめ色になるまで炒めたものにカレー粉をベースにスパイスをオリジナル調合したものを加えて特製ルーをつくり、これを鍋に加えてカレーにした。人参とじゃがいもも加えた。出来は大満足。米ではなく、ベーグルといっしょに食べた。ベーグルはまわりパリパリ、なかモッチリ。最高だ!