わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ゲルハルト・ケップフ『フクロウの眼』

 第三章は、なんだかよくわからんが胎児時代から乳幼児までが、あたかもすべての出来事を覚えているかのような書き方で描かれている。
 つづいて第四章。「われわれの小説がどのようにして葬られたか、そしてちなみにそれが愚者裁判とどうかかわるかについての話」。葬式→小説。ここで言う「小説」ってのは、この作品自体のことらしい。作中人物が自分の生きる世界を「小説」と呼ぶ、ということは、自分がフィクションの存在だと認めているということで、ということはここまで書かれたことはすべて作中人物にとっては事実であるが読者にとってはフィクション、ということだと思っていたが、作中人物にとってもフィクション、ということになるとすれば……この章は、作品そのものを否定しようとしているのだろうか。

ふくろうの眼 (文学の冒険)

ふくろうの眼 (文学の冒険)

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