五時四十分起床。待合室にいる夢を見た。誰も会話をしていない。そして、無駄に広い。そんな、状況だけしか覚えていないのだが、自分だけが、そこで、はしゃいでいたのか騒いでいたのか定かではないが、とにかく周囲から浮くような、いわゆるKY行為をしていたような記憶が微かに残っている。何をしていたのだろう、ぼくは。気にはなるが、夢の話だ。忘れたところで、大きな影響はないだろう。ただ、深層心理の在り方が少々気になるだけだ。
仕事。連休が明けてから、取引先の多くが、今この時を待っていた、といわんばかりに活動的になってきているようだ。停滞気味だった仕事の大半がにわかに勢いづき、並行して、新たな相談事も増えていく。ありがたい、と思う反面、さて、今はこんな調子で働いていて、大丈夫なのかと考えることもある。自分の場合は自宅兼事務所、新型コロナウイルスの流行前も今も、書斎にこもって仕事をつづけるというワークスタイルはたいして変わらない。図書館や書店に行く回数が、そして取引先を訪問する回数が激減しているが、ここにきて新たに働き方を工夫した、ということはない。Zoomなどのオンライン会議アプリの使い方を覚えたくらいだろうか。自分はこんな調子なのだが、周囲は違う。状況がつねに変化しつづけている。それは働き方に限ったことではない。数字も大きく変わるだろう。ウチだって、変わっている。
驚くほど慌ただしい感じで、あっという間に一日が終わった。ふう。
夕食はアジの干物を食べた。
朝日新聞夕刊。NY在住の日系ブラジル人画家である大岩オスカールが取り上げられていた。ロックアウト状態のNYをドローイング作品にしているのだが、黒のペンだけで描いている。大岩オスカールはたしか、点描風のカラフルで繊細な風景画が多かった気がするのだが。それくらい、今の状況が非日常的でセンセーショナルだということなのだろう。
▼改めて調べたら、こんな作品だった。
▼それが、今はこんな感じ。
▼金沢二十一世紀美術館から画集が出ているみたい。ということは、この美術館で展覧会をした…のかな。調べればわかるな。