わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

藤代泉「姫沙羅」

「群像」2021年5月号掲載、ようやく読了。

 中学生(高校生だったかな?)の頃に他者と話すことができなくなってしまった主人公・陽菜のゆるやかな、いつのまにやら、という感じの恢復。そして大学生になって、そして心を許せるかと思っていた男性の、ゆるやかで曖昧で中途半端で、普通ならそうとはとらないような裏切りへの、とまどいと不信と怒りと寂しさが入り混じった複雑な感情。その感情を受け取った男性の(そうとはハッキリ書かれていないのだが)自死から受けた、これまたあいまいな悲しみ。悲しみというよりは、落ち込み、鬱のようなものにちかいかもしれない。最終的に陽菜はこの状態からも立ち直れるのだが、彼女の人生において、立ち直りの契機となるものは、明確には存在しない。ただ、両親や祖母などとの会話、記憶、そして農家ならではの植物や蚕などとの小さな接点が、少しずつ、彼女に力を与えていく。ただ、そのように明確には描かれていない。陽菜も積極的に今の状況から抜け出そうとはしていない。ただただ時間に、状況に、流されつづけている。その、流され具合の描き方、行間から感じられる距離感が、おもしろい。タイトルになっている「姫沙羅」という木は彼女の庭に植えられてもので、その場所は父が大昔に家畜として飼っていた馬がなくなったときに弔おうとして掘った穴の場所にある。結局、馬はそこには埋められなかったのだが。陽菜は姫沙羅に強い思い入れがあるわけではない。ただ、なんとなく、花の存在を感じているだけだ。感じ方が作中の時間の経過によって大きく変わるわけでもない。姫沙羅が彼女を見守っている、といったベタで感傷的な描かれ方をしているわけでもない。

 あちこちに空洞がある作品、という印象を受けた。それを何で埋めるか、いや、埋めることができるのか。その回答は誰にもわからない。大きな穴のあった場所に生えた木がタイトルになっているというのは、このことのメタファーになっているのかもしれない。

 

 

群像 2021年 05 月号 [雑誌]

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ボーダー&レス

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  • 作者:藤代 泉
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