「群像」2022年10月号の特集「「弱さ」の哲学」より。読了。二人の若き(といっても多分三十代)の、女性、そしてトランスジェンダーの哲学者による対談。本文の見出しを見るだけでも、この対談が普通の哲学者同士の対話や議論ではないことがよくわかる。
- 哲学をすると強くなるのか
- 「わからない」ことについて考える
- 「こそ場」と「なら場」
- 寄り添って一緒に脆くなる
- 哲学における他者
ちなみに、三つ目の「こそ場」とは、「こここそ、自分がいるべき場所」ということ。一方、「なら場」は「ここなら、自分がいられる場所」のこと。
哲学は、もしかしたら弱者にとってもっとも無意味な学問なのかもしれない。だが、その無意味さをさらけ出して寄り添うことで、何かがわかり、何かが生まれ、何かにつながっていく……はず。
コミュニケーションとはなんだろう、ということについても考えさせられた。こっちはインスタグラムの投稿に書いたので、そちらをどうぞ。