六時十五分。猫とインコの世話してベランダの掃除して部屋の掃除して溜め込んだシャツにアイロンかけて買い出ししてラム肉でカレーつくって食べてEテレの「日曜美術館」の萬鉄五郎見たらもう夜。梅雨はどこにいったと訝りたくなるほどの暑さに体力を奪われながらのベランダ掃除は少々キツかった。おしまい。
五時三十分起床。曇天の夏日。時折青空がのぞくがおおむね曇り空。九州の大雨、非常に心が痛むが、東京にいるとニュースの映像を見ない限り、実感がわかない。日本はそれなりに広いのだ、と痛感。情報がなければ、喜びも悲しみも共有できない。
麦次郎、絶好調のような気がする。外に出せというので抱っこして外廊下に出ると、すぐ騒ぎはじめる。暑いから帰ると言っているようだ。わがままこの上ない。コジコジはあいかわらず求愛ゲロがつづいている。口が汚い。
仕事。午後から妻と、東京ビッグサイトで開催中の販促EXPO(広告宣伝EXPOとか営業支援EXPOも同時開催)、文具フェアを見に行く。提案のネタになるソリューションがあれば、と期待したのだが、スマホを利用したターゲット行動分析マッピングソリューションみたいなの以外は、あまり心に響かなかった。妻は自分の作品のグッズ化のネタをいっぱい見つけたようだ。
東京駅で駅弁を買ってから帰宅。シャケ・イクラの弁当と、穴子の弁当。どちらもうまし。
夜はランニングへ。原っぱ広場でウインドスプリット、250m×7本。へとへと。
読書は仕事関連のものと、週刊モーニング。「グラゼニ」、夏之助の境遇はどうなることやら。
五時三十分に起きるも、うっかり二度寝。昨夜の、途中で雨に降られたランニングが堪えたか。雨に体温を奪われると、気づかぬうちに体力を消耗するのかもしれない。メカニズムがよくわからない。
麦次郎、よく寝ている。だが声をかけると、ガバリ、と猛スピードで身体を起こす。人間なら100歳を超えているとは思えない俊敏さだ。足腰は弱っているが、猫らしさはまだまだ健在ということなのだろう。目はぼんやりとしか見えていないようだが、耳は絶好調、ということでもあるのだと思う。コジコジは相変わらず求愛ゲロに夢中だ。
仕事はかなり落ち着いたので、残務的なことをのんびりこなしていった。といっても緊急対応する場面もあるにはあったのだが。
夕方は長めに散歩。あちこちで夏の花が咲きはじめている。百日紅の花を何度も見かけた。
夜も二十時すぎに仕事の電話が来たりもしたが、比較的のんびり過ごせた。
↓百日紅といえば
↓サルと言えば
↓コレも猿だ。サスケの父親は大猿大助って名前じゃなかったかな→今、Wikipediaで調べたら、合ってた。
病気からの恢復が、なれ鮨の話などと複雑に絡み合いながら淡々と語られていく。徐々に、微かに、増していく生命力。無限の力というのではない。ただ、老作家ならではの、俗な悟り、というのはおかしな表現だが、そんな感覚から生まれる、決して弱くはない、ある意味で、故障しがちかもしれないが、エネルギー効率のよさそうな、そんな力を行間に感じさせる。
今朝も五時三十分起床。朝から蒸し風呂に入っているような気分なのだが、自分で自分を、そんな比喩の暗示にかけてしまっているような気がしないでもない。台風が九州上陸、そのまま東へ東へ、ただひたすらにまっすぐと、日本を横断するらしい。台風の進路にも愚直さというものがあるらしい。
麦次郎、低気圧のせいなのだろうが、ちょっと覇気がない。とはいえ、わがままの度合いは変わらない。夜中にトイレを失敗。調子が悪いと目も鼻も利かなくなり、トイレの場所を探れなくなるのかもしれない。床材をクッションフロアにしておいてよかった。
コジコジは相変わらず。
仕事。某案件を断片的にこなしつつ、溜め込んでいた事務処理も同時並行で進めた。月末には社会保険の算定基礎届がある。今年は新宿の社会保険事務所に行って賃金台帳やら出勤簿やらを提出しなければいけない。しかし、夫婦二人でやっているのだから、給与は賃金台帳にまとめるまでもないし、出勤簿に至っては自宅兼事務所なのだから関係ないし、そもそも役員には出勤の義務はない。あるのは経営責任だ。というわけで、期日までに書類を一通り、このためだけにつくらなければならない。それにしても、と思う。「出勤簿」という考え方、すでに時代に合っていないような気がするのだが、どうだろう。
午後は事務処理のために銀行へ。外は蒸し風呂状態ではあるが、雨はまだ降っていないので、ついでとばかり、3.5kmほど歩いた。
戻って作業再開。
夜から雨。麦次郎、外に出せとうるさいので出してやったら少し濡れた。ゴウゴウとLEDの街頭がぼんやりと光る薄闇の中で濁流が流れる善福寺川を、夢中になって見ていた。見えていないと思うけど。
↓めり込み睡眠法。