「群像」2020年1月号掲載。この作家のことは全然知らなかったのだが、SF作家としてかなり有名なようだ。だとすると知らなかったことがちょっと恥ずかしくなったりもするのだが。
結婚記念日に単身赴任中の妻のもとに夫から送られてきた謎の鉢植え。諸星大二郎的な世界観だなあ、なんて思いながら読んでいたら、また違う展開になってきた。まだ読了していないが、なんだかコワイ。
今朝も五時四十分起床。
年も明け、仕事はすでにフル稼働なのだが、まだ打ち合わせで取引先と会ってはいないので、世間がどのような雰囲気に包まれどのような動き方働き方をしているのかはまったくわからない。電話で新規の依頼を受けたからそれなりに稼働はしているのだろうが、総じて連絡のメールや電話の数は少ない。そのぶん、自分のペースで仕事を進められるのが幸いだ。妻が風邪のようで一日寝ていたから妻担当の家事の一部、おもには料理、その最低限の部分をぼくがやることになるから、多忙な状態だったらちょっと厳しかったかもしれない。昼前に一度手を止め、七草がゆをつくった。こんなことをできるのは自宅兼事務所の強みだ。
夕方から雨。明日は、午前中は空が荒れるという。
以前、ある企業のカレンダーの企画で作品を使わせていただき、不肖ながらぼくが解説を書いた洋画家/版画家の吉田博の息子さん。父親とは違いかなり前衛的な作風だとは聞いていたのだけれど、作品を実際に鑑賞したことはなかった。驚いたのは、その抽象性、そして時代性。60年代頃の作品は完全な抽象画で、これを主に木版画で展開しているのが二重の驚き。岡本太郎もかくや、というほどの熱いエネルギーと躍動性、そして抽象画には基本的に感じられることが少ない空間性に満ちた、不思議な作風。父親同様に旅好きだったようで、中南米の影響があるようなのだが、正直言って作品からではまったくわからない。そして70年代以降は、池田満寿夫や横尾忠則のような具象性があるのに異質な感覚に満ちた「ここなんだけど、ここじゃない」という雰囲気の作品が多くなる。この時代の空気を感じた。こちらは木版に写真印刷の亜鉛凸版という技術を組み合わせた独自の手法を用いているそうだ。コラージュの作品も多かった。
穂高氏が自分の作風を確立させるまでの道のりも感じられて、とてもいい企画展だった。
五時五十分起床。昨日のインターバル走が少しこたえているようだ。曇天。微かな朝焼け。
午前中は掃除。午後からは仕事。
夕食は年末に作って寝かしておいたローストビーフをどんぶりにして食べた。食べながら、マツコ・デラックスがMCをするバラエティを観た。モヤモヤした日々やぐうたらした生活を送る人が自分の日常とはまったく異なる価値観や環境を持つ場所に放り込まれ、そこでなんらかの挑戦を50日間つづける。そのチャレンジ前と50日後でどれくらい顔が変わるのか、を追いかけるドキュメンタリー。何度か、土曜日の昼間に放送していたシリーズで観たことがある。まったくブレていない企画。その人の価値観が変わりすぎて人格がおかしくなるんじゃないかと少し心配になってしまう点も含めて、おもしろい。
夜はランニングへ。11km。善福寺池のほとりでじいさんが野良猫にゴハンをあげていた。
読書は磯崎憲一郎「わが人生最悪の時」(「群像」2020年1月号掲載)を少しだけ。