七夕。空を見上げるが、星空が見えたためしがないのは、梅雨時という季節のせいか、それとも東京という街の騒々しすぎるほどの明るさか。闇に光る一筋の光は静寂をよりスリリングにするが、煌々と明るいだけの世界が延々とつづくのは、光がよほど澄みきっていないかぎり、騒々しくて辟易してくる。闇に美しさのない土地に美しい幻想は生まれない、そして美しい幻想のない土地に文化は根づかない、と学生時代ドイツに行ったときに感じた。七夕の日にこうして思い返してみると、若い頃の浅い考えとはいえ、妙に説得力があるように思える。
六時、起床。今朝は目覚し時計を使ったが、目が覚めたのは鳴る前だ。
七時、事務所へ。多少蒸す感覚はあるが、冷たい風がそろそろと吹き込むので苦しくはない。窓を開け放って、ラジコンメーカーウェブサイトの企画、住宅メーカーパンフレットなど。十一時、水道橋のE社へ。クライアントのご担当者、ノーネクタイである。クールビズですね、と話しかけたら、五十畑さんは年中クールビズですねと返され苦笑した。ネクタイを締めたことがないからだろう。締め方忘れちゃった、とボソリとつぶやいたら、ご担当者がうらやましそうに笑った。独立していることの優越感を、こんな小さなことで感じるとは。複雑な気分で打ち合わせに臨んだ。
昼食は西荻の熊本ラーメン「ひごもんず」。急にトンコツスープでアタマがいっぱいになってしまったので駆け込んだ。珍しく衝動的に行動してしまった。味の方は…昔は角煮ラーメンにもやしなんぞ入っていたか? もやしのせいで、スープが妙に水っぽく感じちゃうんだよなあ。
夕方、吉祥寺へ。ラオックスでデジカメ用のメモリーとケース。ケースはデジカメではなく、PDAを入れることにした。つづいてパルコへ。「リブロブックス」で、「ソトコト」7月号、「群像」7月号。ロンロンの「大森スポーツ」で、腱鞘炎用のサポーターとキネシオテープを購入。サポーターはナイキのものにした。DRI-FITという新素材で、通気性がよい。
二十時三十分、帰宅。ドラマ「電車男」を観る。フジテレビのコメディにありがちな、おおげさすぎる演出がわずらわしかったが、チビノリダー伊藤淳史の演技もナカナカで楽しめた。
今夜も花麦を対面させる。ふたりとも、態度はいたって普通。平常心。乱れない。麦次郎はご対面に飽きたのか、早々にその場を離れ、脱衣所やら風呂場やらをウロウロしはじめた。
多和田葉子「無精卵」読了。典型的な不条理型結末だけれど、女性という性がもつ本質的な悲しさや、子どもの純粋無垢ゆえの残酷性が、不条理という設定ですっぽりと被われている。それが不条理からにじみ出てくる瞬間がチラホラ。そんな部分に、ぼくら読者は何かを感じる。感動ではない。問題提起されたわけでもない。これは一体何だ? 結局、読者は作者によって作られた世界を読むことで受け容れるしかない。あるいは読んだ後に拒絶するか。ぼくはいずれの立場も取れずに悩んでいる。それもまた作者の狙いなのだろうか。作意に満ちすぎた小説である。