わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

売却/霊能

寝転がっても本が読める。

 九時起床。朝から片づけに精を出す。明日はリサイクル業者を呼んでいる。不要な家具やら器具やら装飾品やらを、片っ端から売り払う予定だ。そんなことを義母に話したら、これも売ってほしいと読書スタンドを持ってきた。本を開いたまま固定できるスタンドだ。照明が付いているので目を悪くする心配もない。首を傷めたときに買ったらしいのだが、近所のリサイクル屋に相談したものの、これは売れないと断られたそうだ。今回は、西荻界隈でも一番大きな業者に売る。さて、食いついてくれるか、食わず嫌いされるか。

午後からは、掃除中だけ花子と麦次郎の部屋交換をした。書斎にばかりいる花子をリビングへ。リビングの麦次を書斎へ。花子、最初は及び腰だったが、すぐに落ち着き、そのうちまたソワソワしはじめ、今度は遊べだのなんだのあれこれ要求しはじめた。
 
 夕方、書斎で仕事を少々。
 
 夜はテレビ朝日オーラの泉http://www.tv-asahi.co.jp/aura/の特番を観る。ぼくは理論好きで学生時代はマルクスに傾倒した??と言っても共産主義にや唯物史観に染まっていたわけではないが。ヘーゲルの流れから読んだらおもしろくてハマった、でも本質は理解していない、というだけ??こともあるようなニンゲンだが、スピリチュアルな分野にも強い興味がある。ヒーリングサロンLove & Lightを主催するゆうりさんhttp://www.lovelight.us/など、そういった能力をもつ友人もいる。自分も多少は霊感があるようで、それを活かすつもりなどさらさらないのだが、霊能力を職業にしている江原啓之やあの世の伝道師と化している美輪明宏には一種の憧れを感じてしまう。そして、彼らの足元にもおよばぬほどせこい自分の精神性に愕然とする。が、一方で救われている気もするので、この番組は欠かさず観ている。


美輪明宏『紫の履歴書』
紫の履歴書

江原さんの本は未読。昔、誰かのエッセイで江原さんの能力のすごさが書かれていたのを読んだだけ。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。競輪場に誘われた主人公。そこで観たのは、異様な緊張感に囚われ、幽玄な表情を見せるひとびとだった。博打の緊張感にも、差異はあるものか。 夜中、読了。なかなか手ごわい相手だった。聖人の往生から俗人の死、聖俗など関係なく万人を襲った東京大空襲や横浜・川崎空襲の記憶。死と正面から向かい合い、死の瞬間の「最後の生」を、生の側から描こうとした試み、とでも言おうか。四月になると、築二十年の自宅マンションの窓の外に広がる一面の花に想いを馳せる主人公。花のイメージは知らぬ間に往生へと結びつき、終幕となる。こんな締め方でいいのか、と思えるほど不思議な終り方だが、解釈の妙がある。焼け跡なのか、疎開地なのか、千年前の集落なのか、三途の川のすぐそばなのか??。作者は場所に具体名を与えていない。時代背景も、あらわれた人物の実際の生死も語らない。あるのはマンションの二階から湧きあがったイメージだけだ。例によって引用。
 
   ☆
 
 四月に入れば、ここはもう一度、花の宿になる。南の居間の戸いっぱいに花がひろがる。これも自家のものではないが、住まいとともに、植えて二十年になる桜だ。人の静まった夜中に、部屋を暗くして、花に向かって一人坐ると、顔が白くなる。やがて皺ばんで、泣いているような笑っているような、年寄りの面相が宙に掛かり、頭に泥を抱いていて、ある夜、荒い息づかいが闇の底から脹らんで、人が山道を急ぎ登ってきた。最後の坂の途中から、いよいよだ、いよいよ無事だ、と喘ぎ伝えると、そうか、無事か、来るものがついに来たか、と杉林から沈んだ声が応えて、それを合図に、谷の先に続く野の果てから、塔の影がつぎつぎに突き立ち、南の空が焼けはじめた。男たちは林の中に寄り合い、下土に低く腰を垂れて、まず腹ごしらえに握り飯を取り出した。しばしば言葉もなく、ただ顔を間近から見交わして喰らうにつれてしかし、遠い赤光は紫をおびて、眺める間に紫からさらに青みがかり、なにかいかにも濃い漿液の、うわ澄みを思わせる薄明が地平に淀んだ。熱に乾いた口蓋の臭いが、風に乗って運ばれてきた。眉をひそめて近いあたりを見まわすと、いましがた麓から着いた男も、峠で待ち受けた男も、ともに藤色に染まった粗い物を身にまとい、黒いような縄を腰紐に締めて、同じ異臭を裾からほのかに立ち上らせながら、言わぬことではない、おなじようなことを叫んで、おなじような興奮に心をまかせれば、帰れば口やら顔やら拭って一時の祭り騒ぎだとひそかに高を括っていても、身体の質の方がもっとひそかに、おのずとひと色に通じ合うので、そこへ悪癖の種が落ちたら、ひとたまりもない、と一人がつぶやいた。熱狂も忿懣もひと色に熟れて、道はすでに累々と、折り重なっているか、と一人がたずねた。道は喧騒ながらに人気が絶えて、表も裏も、人の走る後から閑散としている、と一人が答えた。そうか、無事がきわまったか、と息をついてそれきり声は跡切れた。蒼ざめた地平から、今日も息災に明けていくぞう、日々にあらたまるなあ、と太い呻きがまっすぐ天へ昇り、喉の奥が陰気になって、はたと目を剥いたふうに落ちた。それにみみをやっていたなごりをふくんで、ところで、この谷に集まっておる者たちは、往生人か、と気のない声がまたたずねた。いやいや、あれは、すでに穢に触れたかどうか、そのあらわれを、ここで息をひそめて、かなたの沈黙におのれの沈黙を重ねて、ただ待つ連中にすぎない、と答えていた。ふいに背後から山へ迫りあがり、その懐にひろがって、花が一斉に咲いたように、白く坐りつく姿が、それぞれに小さく切られた土の棚から棚へ、無数に反復した。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』仮往生伝試文(新装版)