わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

秋雨/鼻血ブーッの脱領域的破壊力/ピノコ誕生

catkicker0012005-10-10

 雨がつづいている。秋の長雨というが、今年の秋雨はいささか長過ぎはしまいか。毎日、洗濯物が居間を占領している。室内用の除湿器をフル稼働させているが、バスタオルやジーンズなど、厚手の生地はなかなか乾かない。しかし梅雨時の湿っぽさとはどこか違うから不思議だ。差異はどこにあるのだろう。秋雨らしさ、その気配を感じとろうとしてみるが、どうしてもそれがわからない。暑さだろうか。秋分の日を過ぎて、日に日に肌寒さは増している。だが梅雨寒という言葉もある。では何が違う。緑の色だろうか。ベランダから身を乗り出せば、手入れの比較的楽な常緑樹ばかりが植えられている戸建ての庭の中にポツリ、ポツリと黄色や橙色、茶色が混じりはじめている。桜の黄葉、柿の実の成熟、そしてキンモクセイの花。しかしキンモクセイはベランダからは見つけにくい。あのあたりで咲いているはず、いや香っているはず、と想像してみる。道を歩けば、雨に混じって一瞬、ほのかに香る。花のありかは、香る場所から意外にも遠い。そのキンモクセイの小さな花びらが、雨に打たれてアスファルトに濡れ落ちる。濃いグレーの道路に、無作為な点描が広がっている。ここまで見て、感じて、ようやくその差異とは、傘越し、あるいは濡れた窓越しに広がる色彩と香りにあるのだと気付く。思いをめぐらせなければ気付かぬ自分の、鈍感さに今さらながら呆れてしまう。秋雨はひとの感覚を研ぎ澄ますために降るのかもしれない。
 
 七時起床。プチ断食の影響か、少々身体がだるい。腰や背骨が自分のものではないようなのだ。借り物の身体で立っている、そんな感覚だ。アタマも痛い。午前中は仕事をしようと思ったが、案の定まったくはかどらない。粥で昼食をとり、ようやく背骨が落ち着いた。
 午後から外出。某ペットフードメーカーの企画のために、三鷹・吉祥寺近辺の熱帯魚を扱うペットショップを視察するつもりでいたが、三鷹の某店、そして吉祥寺の某店と、予定していた三店のうち、二店が見当たらない。店があるはずのあたりに、三鷹では犬のトリミングサロンが、吉祥寺ではスポーツフィッシングの専門店がある。両方とも、どこかで熱帯魚とつながると言えなくもない。流行りモノの店じまいは想像以上に早いものだ、と痛感する。

 三鷹市美術ギャラリー http://www.mitaka.jpn.org/gallery/ で開かれている「谷岡ヤスジ展 〜ニッポンの<アサー!>と丸い地平線〜」を観る。ナンセンスのもつ爆発力を、原画を通じて痛感。特筆すべきは、谷岡氏の優れたデザイン感覚だ。ペンで素直に引かれたシンプルな線が、対象の過激化と素朴化というふたつのベクトルでキャラクターたちを右往左往させる。過激で意味なしなギャグがナンセンスなのではない。「アサーッ」や「鼻血ブーッ」がもつ過激なベクトルが、能天気な都会の風景あるいは谷岡が「ソン(村)」と呼んでいた牧歌的な農村の風景がもつ素朴で優しいベクトルと化学反応を起こし、そこにナンセンスが生まれるのではないか。しかも、単なるナンセンスではない、哲学の領域さえブチ壊そうとする、脱領域的な破壊力をもつナンセンスだ。ポスターに利用された馬の親子の尻のワンカットは、まさにその象徴。これ以上簡略できぬほどにシンプルな線で描かれたこの駒は、静かでありながら、愛情、望郷、馬鹿馬鹿しさ、シニカルさ、それらをすべて内包している。感動させられているのに、笑わずにいられない。そんな魅力がこの作家にはあった。感動したので、絵はがきを全種類購入した。

 夕食はピザ。録画しておいた「ブラックジャック」を観ながら。ピノコ誕生のエピソードである。原作は人権問題にうるさい団体からクレームが来そうな内容だから、きっとアニメではピノコ生誕秘話はウヤムヤなんだろうね、などとカミサンと話していた矢先の放映だ。しかも、前半は原作にほぼ忠実。後半に若干オリジナルストーリーを加えただけだ。ピノコはある意味、手塚特有のややひねくれたヒューマニズムの象徴のようなキャラだ。そのキャラをシッカリ物語ってくれた。脱帽。
 
 大江『さようなら、私の本よ!』。尻すぼみ。トホホ、ですな。でも老人は尻すぼみという状況に慣れているものなのかもしれない。むしろ、尻すぼみこそ老人の活力源なのではないか。制約することで、活力は凝縮されるのだ。