わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

粉々の歯と、年越しという自虐

 上の歯がすべて粉々にくだけながら一度に抜け落ちる夢を見た。
 七時起床。毎朝、書斎とアトリエ、そして玄関の結露をセルロースのスポンジで拭き取るのが日課になっている。何日かつづけてみて、どうやら結露の多い日は明け方の冷え込みが激しく、そのまま日中もさほど温度が上がらないようで、一方結露の少なめな日は、たとえ明け方が寒くても、日中は陽が照り風はおだやかで身を縮めて歩く必要がないようだ、と気づいた。今日の結露は、どちらかといえば少ない。天気予報では、東京は十度をわずかに上回るという予想だ。大寒波が押し寄せていたここ数日の寒さに比べたら、暖かい。
 午前中は某信販会社の社内報の企画。この手の仕事は、採用になっても自分の仕事にすることができないのがつらい。ぼくは編集者ではないから。
 十五時、御徒町にある文具メーカーT社にて、万年筆の新聞広告の打ち合わせ。今愛用しているセーラー・丸善のモデルは気に入っているが、今回の広告で扱う商品も魅力的だ。ほしいなあ、と思う。
 御徒町の「多慶屋」の前を通りかかる。厚着をした人たちで店先はごった返している。並んでいるのは、正月のお飾りや身欠きにしん、餅、乾物などの年越しのためのものばかりである。改めて、年の瀬であることを実感してみる。年を越す。まあ大抵の場合は無事に越せるのだろう。だが、どこかに焦りが生まれる。時間にははじまりも終わりもなく、ただ連続した刹那があるだけだということなどわかっているというのに、勝手に期限を、終点を決めてしまう。目標をもつ、と言えば聞こえはよい。だが、それが「無事に来年を迎える」という、ともすれば曖昧になりがち、口ではそういうが内容が伴わず、ただ気持ばかりが来年へ来年へと向かうばかりだとすれば、年の瀬の喧騒とは、ともすると自虐的な、自分で自分を追い込むための節目になりかねない。すべてが終えたあとの解放感だけが支えとなる毎日。日本人は、それが楽しくて年末年始を大げさに演出しようとするのかもしれない。
 帰社/帰宅後はふたたび某信販会社の社内報の企画に。二十時、なんとか終了。あとはデザインを起こしてもらって、企画書をフィニッシュするだけだ。
 
 田中小実昌「北川はぼくに」読了。終戦後、主人公は海水浴場で偶然北川と再会する。初年兵を射殺した話は、このときに聞かされたことを読者ははじめてしるのだ。主人公は、どうして北川が射殺の話を自分に、さほど仲がよいわけでもなかった自分にしてくれたのかがわからない。再会の場で、北川は当時貴重だった白米のオニギリを二個も主人公にあげてしまう。そのオニギリを食べながら、主人公はなぜ射殺の話をしたのか、その理由を悟る。引用。《オニギリを食べながら、ぼくはそのわけがわかったような気がした。いや、長いあいだの疑問が、そのとき、ふっと、とけたといったことではない。じつは、はじめから、わかっていたようなものなのだ。/(中略)北川は、海水浴場でぱったりあったぼくに。ただいっしょうけんめい、オニギリをすすめてるのだ。このことと、あのとき、北川がぼくに死んだ初年兵のことをはなしたのとは、かたちはぜんぜんちがうけど、おなじことだろう。》北川という男が、誰に対してもまじめに、愛情をこめて接しようとしているから、というわけではあるまい。北川には、懸命にならざるを得ない理由がある。おそらくは、それは戦争によって植え付けられた心の中の虚無が駆り立てているのだ。いや、虚無を埋め尽くすために、北川は行動をせざるを得ないのだ。語らざるを得ないのだ。そうしなければ、自分は戦争での体験に飲み込まれてしまう。
 つづいて「岩塩の袋」を読みはじめる。