わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

相武紗季ちゃん豪華三本立て

 また相武紗季ちゃんが夢に出てきた。しかも、三本連続である。
 ひとつめ。家の中にいる。古めかしい平屋にぼくらは住んでいる。美輪明宏江原啓之が、うちのカミサンといっしょにひとつの布団で川の字になって寝ている。ぼくは紗季ちゃんと、三人の布団からちょっと離れた畳の間で、ちゃぶ台を挟んであれこれ話している。一緒に住んでいるようだが、血縁関係にあるわけではないらしい。
 ふたつめ。外にいる。住宅街ではない。土手のそばのようだ。土手を眺められる場所にいる。見慣れた雰囲気は、実家のある古河市を流れる渡良瀬川か。三月ごろなのか、土手を覆う芝はほとんど枯れているが、少しずつ緑色になりかかっているところもある。そばに朝顔が咲いている。季節がむちゃくちゃではないか。だがそんなことには、ぼくも紗季ちゃんも気づかない。空は霞んだ青で、おそらく三月。初春の青。
 みっつめ。路地裏にいる。西荻窪の、南口の「三和食堂」の前の路地に似ているが、どこか違う。そこをぼくと紗季ちゃんが歩いている。ぼくは画板を抱えている。ふたりでどこかにスケッチでもしに出かけたのだろうか。話しかけてくる口調から、ふたりはどうやら兄妹らしい。が、紗季ちゃんは言う。「あたし、どうやら隠し子らしいんだよね」ということは、ぼくらは兄妹ではないのか。ぼくらは歩く。いつの間にか畑道になっている。遠くに森が見える。誰かがクルマでぼくらを迎えに来てくれる。クルマに乗って、ぼくらは喫茶店に行く。そこでぼくらはパフェを食べながら会話をつづける。紗季ちゃんの今後の身の振り方のことや、ぼくの現状とこれからのこと。話しているうちに眠くなった。気づいたらぼくは布団の中にいて、紗季ちゃんはいない。しばらくは、夢と現実の区別がつかなかった。花子が添い寝していた。
 この三本の夢、どう受け止めたらいいのだろう。笑って軽く流すべきか。四捨五入したら四十歳になるオッサンが見る夢とは思えん。情けない。
 六時四十五分起床。雨である。強い雨音が、窓を閉めていても部屋まで伝わる。寝ぼけた目にも、雨がするどく空から降りてきて地面を打つ、その筋道が見える。一日中降りつづけるか、と半ば憂鬱な気分で眺めていたが、すぐに止んだ。安易に憂鬱になるものではない、と痛感。
 某団体のパンフレットの企画が採用になった。今日は延々と資料の読み込みをつづける。夕方、ちょっとだけ外出。銀行まわり、それから西荻窪の自然食品店「はやおき村」で米を買う。一割引。
 夜は録画しておいたドラマ版「ちびまる子ちゃん」を観る。まる子役の女の子の演技はすばらしい。みごとにまる子を自分のものにしている。