わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『聖耳』

「日や月や」。空襲から逃げるひとりの女。戦争という極限的状況は、ひとに異常な感覚を、そして異常な力を与える。たとえば炎に対する恐怖は薄れ、いや炎を認識することさえできなくなり、一方で勘は冴え無意識は顕在意識以上の働きを見せ、火事場の馬鹿力が沸き起こる。自分以外の何かに与えられた力なのか、それはわからない。そして、生き残る。いや、これは生かされると言ったほうが正確だろう。ただ生きるだけなら、異常な感覚や超常的な力は不要なのだから。生かされるとは、戦争の悲しみを抱き続けよ、ということだ。そこにどんな意味を見出すべきなのか。その答えは作品には示されていない。いや、問いかけさえなされていない。だが、主人公の女は、漠然と、無意識のうちにその意味を求め、探りながら、生かされてゆく。生かされているという自覚もなしに、ただ過去ばかりを振り返りながら。
 連作短編集の一篇ではあるが、これは古井氏の戦争物の最高傑作だと思う。