わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

寝息は猫にかなわない。

 七時三十分、起床するも眠気で撃沈。夕べ、寝る前にナイトキャップとしゃれ込みスコッチをダブル、いやトリプルで飲んじまったのがいけなかったか。いや、花子の誘惑に負けたのかもしれない。一度起きると、花子が気配を察知してすぐに枕元まで来てくれた。すこし撫でてあげると落ち着いたのか、枕元でクークーと眠りはじめてしまった。あの寝息はだめだ。伝染する。もっとも、オッサンであるぼくにはあんなにかわいらしい寝息を立てることはできない。寝息は猫にかなわない。
 八時、ちゃんと起床。身支度を済ませ、ぷちぷちに今日から肝臓治療のための漢方薬を与える。体重測定。35g。
 体調もすっかり恢復できたので、今日からジョギングを再開。でも、今後は週1か週2が限度だろうなあ。ゆっくりと4kmほど走る。今日はどういうわけか善福寺川沿いの遊歩道に犬のウンコばかりが目立った。そばを走り抜けるたびにウンコのカオリが吸って吸って吐いて吐いてを繰り返すぼくの鼻孔にボワンと飛び込み、とてもイヤな気分になる。それからしばらくは下ばかりを向き、ウンコ踏むまい、ウンコ踏むまい、そればかりを考えてしまう。休日、一気に犬のウンコが増えるのは、思うにおそらく犬の散歩をしなれていないひとが「休日だから」という理由で犬を連れ回す(正しくは犬に翻弄される)からではないか。彼らには、おそらくは犬のウンコが他人に大きな迷惑を与えることくらいわかっているものの、まあいいか、散歩中に処理するのはメンドくさいし、といった甘えがあるのだろう。こういた人物に限って、何か自分勝手をすると「おれは他人に迷惑をかけていないから、何をしたっていいじゃないか」などと自己正当化するのではないか、などと勝手に考えてしまった。ぼくの経験から思うに、「おれは他人に迷惑をかけていない」という言葉の背後には、必ず「ちょっとは迷惑をかけるかもしれないけれど、おれがやりたいことなんだからいいじゃないか」という甘えが潜んでいる。
 十一時、カミサンと西荻窪駅前まで散歩。ベーカリー「アンセン」で昼食用のパン、西友で豆腐、ネギなど。Tシャツにジーパン、綿のブルゾンというラフな出で立ちだったが、秋晴れの陽射しにたちまち汗ばんだ。見上げれば、入道雲に似た不格好な雲が、薄青い空にのうのうと浮かんでいた。
 午後はジョギングで疲れたのか、二時間ほど眠ってしまう。それから、お仕事。BIll EvansHerbie Hancockを聴きながら某教材メーカーの雑誌広告。十八時、なんとか目処が立ったのでカミサンの仕事を手伝う。人気グッズ「石なまけ」の撮影。BGMは例によってDavid Sylvian

Waltz for Debby

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Maiden Voyage

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Everything & Nothing

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Good Son Vs Only Daughter: Blemish Remixes (Dig)

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 夕食は麻婆豆腐をつくった。しかし、肉なしである。代わりにレンズ豆と椎茸のみじん切りを入れた。これはいい。もたれない。脂っこさも抑えられる。かといって、パンチに欠けてしまうわけではない。今後のわが家の定番になるかな。
 今日は阿佐ケ谷でジャズストリートをやっていたのだが、なんだか行く気になれなかった。ジャズは好きだけれど、自分にとってものすごく興奮させる存在ではない、ということかなあ。それを言ったら、クラシックも三味線もおなじなんだけど。
 ただいま、二十二時過ぎ。花子はまた寝息を立てて寝ている。