わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『山躁賦』

「里見え初めて」読了。翌朝、主人公は雪の降る中、徒歩で京都の寺巡りをする。やがて意識と夢想が混在しはじめ、熱にうなされ、ある寺で倒れる(しかしうなされているという自覚はなしに)。倒れる直前のモノローグが面白かったのでちょっと引用。

 ひどいことになったな、さっさと街へ下っていればよかった、と私は久しぶりにつぶやいて、服を払おうとして、ふっとその手つきに、誰かに見られている、いや、自分で自分の姿を、眉をまがまがしげにひそめて、眺めているのを意識した。もうすこしで姿が見えるところだった、と恐怖感がおもむろに差してきた。見えたら最後、それこそ消える最後の姿となるところだった、と戒めるようにした。

 要するに幽体離脱直前の感覚というものを確かに味わった、ということなんだろうけれど、婉曲に、ではなく、あくまで自分の体験ベースでそれを綴る。そして、焦点移動のすごいこと。現実+景色→服→自分の手→夢想/観念=自分の内面(自分で自分の姿を見る、という感覚)→死に対する恐怖→戒め=現実。上手に一周している。