わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

黙冬/味方

 静寂の中で目を覚ます。と書くと格好よく思えるが、要するに目覚しのアラームが鳴る前に目が覚めただけの話だ。何も聞こえない。状態を起こしたときの軽い呻き声と、布団がズレる音だけが、無音の冬の朝の冷え来た部屋にかすかに響く。
 冬の朝は他の季節よりも無音に近いように感じるのはなぜか。いや、実際に無音なのだ。春は鳥たちが陽が昇ると同時に甲高い声で騒ぎ、夏は蝉どもがざらついた鳴き声をわめき散らす。秋の朝も鳥たちの天下だ。ただ、冬には鳥たちもいくぶん声を潜める。マンションのコンクリートの壁越しにはほとんど聞き取れない。どこかで寒さに身を縮めているのだろう。声を出さず、一箇所にじっとしているのは長い冬を越すための本能に違いない。本能が、冬の朝を無音にする。六時三十分起床。
 午前中は時間が空いたので蔵書整理。不要になった資料用の雑誌を大量に処分した。
 午後、霞が関へ。某IT企業カタログの打ち合わせ。外務省や財務省の前の桜並木もすっかり葉を落としてしまった。つい数カ月前、おなじ気の肌に半透明なセピア色をした蝉の抜け殻がいくつもいくつも点々と貼りついていたのが懐かしい。蝉たちは、無音の地中でじっと身を潜め、来年、あるいは数年後の夏を待ちつづけているはず。
 夜、今シーズン視聴率トップクラスのドラマ「ガリレオ」の最終回を観る。この前の回だけ録画してみた。全部観ておけばよかったかも、と少々後悔している。観なかったのは、演技しているときの柴咲コウがちょっと苦手だから。
 久々に伊藤比呂美ねーさんのブログを覗いてみる。批評家と創作者との闘いについて書かれていた。世の中、味方ばかりではない。でも、味方はちゃんといますから。これは広告文をやっているぼくらもおなじこと。広告代理店の担当は絶賛してくれたのに、クライアントに提出したらボロクソにいわれてしまい、代理店の態度が急変したなどということは少なくない。それでも、どこかに必ず味方はいる。