わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

厄除けテラピー

 六時、すんなりと起床するものの、布団から抜け出すや否や寒さにひるんでしまい二度寝の誘惑に負けそうになるのだが、なんとか勝利。寒さとはある程度のレベルを超えるとニンゲンの行動を加速化させる働きがあるようで、今朝の身支度はいつもより迅速、かつ無駄がなかったように思える。
 窓と玄関の結露拭きに難儀。床も冷えている。
 いつ雨が降り出すか、と少しだけ気にしながら仕事。十一時頃には、微かにではあるが針を落とすような雨音が響きはじめた。
 昼食は納豆とほうれん草のカレーという珍妙な取り合わせ。これらを少しずつと、玄米ご飯を二杯ほど。
 午後より外出。打ち合わせまでの数時間が空いたので、天気は悪いが厄除けのご祈祷に行こうと思い立つ。打ち合わせ場所は麹町。ならばその近くでご利益のありそうな神社、と考え、真っ先に思いついたのが神田明神。いや、本当のところは神田明神という名前が先に思い浮かび、次に今日の午後なら行けるな、と気づき、ならば数え年四十二歳の厄除けを、と考えた次第。祭神は大黒様と恵比寿様、そして平将門公。恵比寿様は古事記に登場するスクナビコナだとは知っていたが、大黒天が大国主(またの名を大己貴命)を指すとはここに来るまで知らなかった。実は最近、なぜか安彦良和大国主を主人公にした漫画『ナムジ』を無性に読み返したくなり、毎日少しずつ読みすすめていたのだが、うーむ、この偶然(ホントは知っていたことを忘れていただけなのかもしれぬが)、大国主に呼び出されていたのではないか、などとついついスピリチュアルな夢想をしてしまう。
 十四時過ぎ、お茶の水着。聖橋口から湯島聖堂方面に向かい、ついでだから、と境内に入り孔子の像と本殿に手を合わせる。すぐに神田明神へ移動。空模様のせいか、参拝客はまばらだが、それでも本殿には新春のご祈祷を願う人が集まっていた。早速申込をするが、近所の小学生数十名程度が学校行事として全員一度にお祓いを受けていたので少々待たされた。いよいよ一般の参拝客の番。流れは一般的な神社でのお祓いとほぼおなじ。アタマを軽く下げたまま祝詞にじっと耳を傾けていると意識が軽くトリップしたような気分になるが、巫女が振る鈴の音を聞いているとそれが次第に明晰になり、ある種の爽快感が感じられた。去年は年始に前厄の厄払いをすっかりわすれていて四月になって慌てて受けるありさまだったが(その遅さがいけなかったか、最後の最後にコンタクトが目の中で破れ、舌を縫う手術をした)、今年は早めに受けることができて安心している。はたから見れば根拠のない安心感かもしれぬが、なぜか今年は大丈夫、という明るい確信、手応えのようなものを感じている。一種の刷り込み、暗示と言われてしまえばそれまでであるが、そう思いたくない、というか、そう思わずに毎日を過ごそうと思っている。
 十六時、麹町にて新規案件の打ち合わせ。楽しかった。
 夕食はクリームシチュー。おかわりをした。