拉致、平行線を辿りつづける中止交渉、そして銃による殺人事件…。急展開するラストに戸惑いっぱなし。中盤までつづいていた、ノーベル賞受賞以前に戻ったかのような作風や文体、世界観に安堵しながらも、父の水死という物語の出発点(かつ物語のエンジン)、そしてその小説化の断念によって動き出す作家の周辺という構造にどことなく暗い影を感じていたのだが、案の定、最後で「晩年の仕事」によく見られる傾向である「死」や整理不能な行き詰まった状況が一気に吹き出してしまい、読み手としては、暗くなるというのとは違うが、不思議な気分にさせられた。
本作は、父の水死を描けぬまま周囲に振り回されつづける老作家、その老作家の作品世界を通じて自身の強姦被害の経験を演劇化しようと試みる舞台女優、ふたりの主人公の物語が複雑に絡み合っている。その部分的な癒着の素となっているのが「水死小説」という不在の存在。この「水死小説」、作中の老作家は書くことができなかったが、大江さん自身は書いたことになる。もちろん作中の老作家=主人公・古義人と大江さんは同一であるようであってもそう見なすべきではないのだけれど。
ある(自分にとって大切な)人間の死が、作品の死へとつながっている。一方、自分自身の死とも言えなくもない強姦体験は、関係する人間の死というよりショッキングな事態へとつながっている。この連鎖の重苦しさを、読者はどう捉えるべきか。この、大江作品では繰り返し取り上げられてきた「再生」というテーマが完全に失われてしまった本作を、閉塞した状況にある現代に生きるぼくたちは、どう読み、どう理解すればいいのだ。さっぱりわからん。ただ、少なくとも大江さんは閉塞した状況に留まりつづけようとはしていないのだろう。
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