わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

冷えに鈍る

 六時起床。今年一番の冷え込みだと、朝のニュースですらりと背の高いモデルのような容姿のお天気お姉さんが説明していた。確かに寒い。室温は昨日とさほど変わらぬというのに、外の寒さが壁を抜け、建材を辿って床下に広がり、足元から体を冷やそうとする。人はともかく、体高の低い猫たちはたまらないだろう。あたたかくできるよう、数日前から小さなホットカーペットを用意してあげているのだが、今日はオイルヒーターの電源を入れた。
 夏の節電の時期は、エアコンを我慢するなら窓を開け放ち外から涼やかな空気を招き入れようと必死になったわけだが、冬の節電は逆に、暖房を我慢しようがするまいが関係なく、外の冷ややかな空気をできるだけ遮断しようと務めることになる。窓を締めカーテンを閉めると、人の感覚はたちまち狂う。空を見ることができない。ただそれだけのために、肌が空気や湿度を感じる力が萎える。鳥たちの姿も声も聞こえない。しかし、だからといって目と耳を閉ざされているように感じているわけではない。自然を感知する必要のない視角と聴覚は、さまざまな情報に、集中的に向けられるようになる。情報は真実を語るものであると同時に、虚構を語るものでもある。油断していれば、室内はたちまち虚構に満たされる。暮らしの中から肉体的、五感的な現実感覚が虚構に押しやられ、どんどん希薄になってゆく。それでも人は、十分に現実の中で生きて行くことができる。不思議な感じだ。
 仕事。二日間かけて行った湘南での取材を一気にまとめ、仕上げた。もっと苦戦するかと思ったが、iPadBluetoothキーボードでガシガシとメモを取りながら取材したのが効を奏したのか、かなりの時間短縮ができた。