東京大空襲の日。四年前から、悲劇の日が、二日ばかりつづくことになってしまった。空襲は歴史の一部になってしまった。東日本大震災もやがて歴史になってしまうのだろうか。だが、事件が歴史として語られるには、事態の収束が絶対的に必要になる。収束できぬのなら、それは百年経っても二百年経っても、歴史上の事件ではなく、現在進行中の社会問題と呼ぶべきだ。
五時四十五分起床。麦次郎が鳴き叫ぶ前にゴハンをあげることに執念を燃やしはじめている自分に気付く。え、ゴハンくれるの? と言わんばかりの表情でこちらを見上げる様子がたまらない。花子とはちょっと反応が違う。あの子はプリプリ怒っているか、ものすごく甘えてくるか、無視するか、そんな感じだった。
仕事は事務処理といくつかの対応以外にほとんどすることがなかったので、貯まりに貯まった小銭を銀行へ預けに行ったり(5万円を超えていた)、夕方はぷちぷちを連れて鳥の病院へ定期検診に行ったり。少しだけ雨に降られたが、帰るころには雨の気配はすっかり消え、空には薄墨のような雲が広く広く浮かんでいたが、それは北の果てや西の果てでしっかりと途切れ、そこからはわずかなスペースではあるものの、セピア色を帯びた夕暮れ時の空が、薄墨の雲以上の存在感で、たしかにそこにあった。夕陽がいつもよりまぶしく感じた。