五時四十分起床。新月だそうだ。
わずかに心がソワソワするのは、新型コロナと東京オリンピックの状況が原因か。いずれも他人事ではない。もっとも、コロナはともかくオリンピックのほうは、都民として問題のまっただ中にいる自覚が当事者だというのに薄いのはなぜか。思い返すと、このお祭りを招致の段階からだいぶ遠い目で眺めていたような気がする。「復興」という大義が被災地で今なお仮住まいをつづける人たちや原発の後処理に汗を流す人たちの現状とかみ合っていないというのがその原因なのだろうが、それ以外に、いやそれ以上に大きな原因として、自分の性格や嗜好性というものもあるのだろう。夜のニュースでは正式に延期になったと報じている。開催という言葉にも延期という言葉にも実感がわかないのは、自分では気づかぬが、心のどこかで無関心、他人事と決めつけているからなのか。いや、気づかぬというのは正確ではない。
仕事。某案件の資料の読み込みと状況の整理、別の案件の原稿のとりまとめなど。
十四時すぎ、父に電話。今日、これから日帰りで手術を受ける。まあ、問題はなさそうだ。
十六時、喘息の定期検診。こちらも問題なし。ご近所のGさんも来ていた。いつもより待合室が空いていたのは、ちょっと調子が悪いような気がするから、という理由で来院していた高齢者が新型コロナの待合室での感染に警戒して、少しくらいなら出歩かずに様子を見よう、と考えて自宅にこもっているから、なのだろうか。
▼今日、会社宛にこんな郵便物が届いた。延期の方向で、という流れになる前に投函されたのだろう。トンチンカンなタイミングになってしまった。