わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

とりとめのなさだけが記憶に

 五時四十分起床。昔の記憶がシャッフルされ、トランプゲームならそのあと手札が背整然と配られたり並べられたりするのだろうが、あいにくごちゃまぜになったままの状態で、夢に出てきた。今の自分と子どものころの自分が同時に存在したり、子どもの時分が今の時間軸を生きたり、その逆になったり、とりとめもない。その、とりとめのなさだけが記憶に残っている。

 仕事。朝から某生命保険会社の案件に集中。詳しくは書かないが、テトリスのような案件だ。

 十七時三十分、ウォーキングへ。企画展の撤収作業から帰ってきた妻と駅で合流し、夕飯の弁当を買って帰宅。ハンバーグと蟹クリームコロッケが入っているモノにした。買い物中、ルミネに入っているアフタヌーンティーのあたりで、あれは館内放送なのか、それともアフタヌーンティーの独自BGMなのか、突然ぼくには耳慣れたピアノのメロディが聞こえた。David Sylvianの“Blue of noon”だ。坂本龍一がピアノ、弟のSteve Jansenがドラム、Sylvianがキーボード、という編成のインストゥルメンタル。たしかCD化されていないはずで、デジタル配信もない。YouTubeには転がってるけど。驚いた。


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 川崎徹「まだ生まれていない、三年後に生まれる」(「群像」2023年2月号掲載)の残り数頁を読んだ。現代の火事の映像に、第二次大戦中の空襲のイメージが重なる。人々が玉音放送を聞いている中で翼を広げて涼を取るカラスのそばに、戦死者の亡霊がやってきて声をかける。悲しさというよりは、異常。何かが静かに狂っている。その静けさが、静かすぎるから普通に思えてしまう。そんな作品だった。