わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

恥ずかしいこと

 六時三十分起床。早朝から仕事。某ペットフードメーカーの企画など。忙しいと、季節を愉しむゆとりも、本に感銘するゆとりも、つい失う。おろそかになるというより、愉しむことを失念する、うっかり忘れる、そんな感覚に近いようだ。そもそもがうっかりものである。企画に没頭しすぎているとき、なかなか一撃必殺のコピーが生まれないとき、そんなときは外出の際に何度も持参する資料やら財布の中身やらを確認してから家を出ても、なにか他の、もっと重要なものを忘れていたりする。もっとも、逆のこともある。今日がそうだった。十九時、L社のT氏と打ち合わせ。T氏とは現在ペットフードメーカーの企画を進めているのだが、今日の打ち合わせは新規の案件、しかも二件を一度に話したいという。メモ用のノート、愛用するパーカーのボールペン、スケジュール管理とアイデア発想支援、そして膨大なネタ帳データベースとして携帯しているPDAの「Tungsten C」、携帯電話、財布、Suica、空のクリアファイル二つ。これだけあれば大丈夫だろう、と勇み足で出かけたが、ペットフードメーカーの件はプレゼンが近く、今日明日が佳境である。なら当然こちらも話題に昇ると考えるべきだ。いや、日中はそう考えていた。それが、家を出る直前には忘れていた。新規の件に、すでに心を奪われていた。案の定、訪問してみると、まずはペットフードの件を片づけてからにしましょう、と、そちらの打ち合わせやら確認作業やらがはじまった。資料は持ってきていない、しまった、うっかりした、恥を忍んで自分がつくった企画書をコピーさせてもらおうか、などと考えつつ、ノートくらいは出さねばとカバンを再度覗き込む。すると、あった。うっかり忘れていたのではなく、うっかりカバンに入れていた。いや、入れたことをうっかり忘れていたのか。自分のことだというのに、なぜ入れておいたのかがわからない。入れたという記憶もない。入れようと思ったことすら忘れている。間違えて入れてしまっただけか、それも探りようがない。それほどうっかりしていたのだ。失念をも味方にすることができれば、人生こわいものはない。だが、失念が味方とは恥ずかしすぎてひとにはいえない。
 打ち合わせは二十三時すぎまでつづいた。
 
 今日もほとんど読書できず。PDAメールマガジンを読んだくらい。