わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

頼むから寝かせろ

 二時三十分。蒲団に入って二時間経たぬか、という頃だ。花子が騒いだ。枕元でフニャンフニャンと淋しそうに鳴き、どうした喉でも渇いたか、と起き上がると、ダダダダッと突然、ぼくが寝ている書斎から、アトリエの方へダッシュする。様子を見に行くと、姿が見えない。花子、と呼ぶ。アーロンチェアの影からひょいと姿を現す。遊びたいのか、と声を掛ける。またダッシュする。今度は書斎だ。声を掛ける。またダッシュする。今度はアトリエだ。何がしたい、と声を掛ける。またダッシュする。以下五回繰り返し。ダッシュに飽きたのか、ケージの上に飛び乗った。声を掛けてみる。いや、正確には提案だ。もう寝ようよ。ぼくの言葉の意味がわかったのかわからぬのかは不明だが、またまた花子はフニャンフニャンと淋しそうに鳴き、それがフーニャーンと間延びした声に変わり、フウン、フウンと連発しはじめる。そのフウン、フウン、が、ニンゲンの言葉でいえば、まったくもう、まったくもう、そう聞こえて仕方がない。ようするに、ツマランのだ。さらに二十分くらい、花子の遊びに付き合った。ふたたび蒲団に入ったときには、もう三時を過ぎていた。

 そして、五時にまた起こされた。ゴハンである。六時にも起こされた。これは気まぐれである。
 七時起床。だがまるで眠った気がせん。
 陽が沈むまで仕事。最高気温は九度、となれば書斎もかなり冷え込む。オイルヒーターは速暖性に欠けるのがつらいところだが、時間が経てば部屋全体が暖まる。しかし今日のような冷えた日は、外気との温度差が激しすぎてしまい、サッシが結露してしまう。こまめに拭いたが、やはり気になる。
 夕方、整骨院でマッサージを受ける。睡眠不足のせいか、眠ってしまった。
 
 遠藤周作『海と毒薬』。いよいよ人体実験が開始される。省略されてはいなかった。省略して、手術に関わったひとたちの手記を載せたのだと思ったが、そうではなかった。手術に対するそれぞれの思いをよりリアルにするためのものだったか。

 戸田と勝呂の対比が、手術の経緯の中で浮き彫りにされる。米兵が切り刻まれる中で、戸田は人が殺される様を見ながら、自らに自責の念が沸き起こらないことを冷静に分析しようとするが、手術室を覆うけだるさに飲み込まれてしまう。一方勝呂は、直前に実験に参加することに躊躇し、手術室には入るものの、作業を手伝うことがいっさいできなくなる。激しい自責の念。手を動かしたのに、自分を責めることができない戸田、そして手を動かしていないのに、強く自分を責めてしまう勝呂。どちらもおなじ人間であり、どちらもともに人間らしい。