「群像」5月号より。病に伏したひとの見た安普請の改築の夢、語り手(≒古井自身?)が病に倒れそうになったときに無意識のうちに玄関に置いた百円玉、そしてひとが死んだ土地から上る陽炎。すべてに、魂の不可解さが不思議に絡みつく。そんな内容。
ラスト。主人公は、それまで何かが建っていた土地の建物が壊され土が掘り返される様子を夜中にぼんやり眺めているうちに、そこに夜だというのに陽炎を見、離れた瞬間に〈髪の根がちくりとして、すこしばかり締まったよう〉に感じる。その後に思ったことが何気ないようで実は人間の存在の根源に深く関わるようなのがスゲエと思ったので、引用。
この白髪がもしも、逆立つまでは行かなくても、一瞬でもざわついたとしたら、その瞬間がもしもたまたま通りがかりの人の目にとまったとしたら、これこそ怪しい。人は自分自身の姿というものを、ほんとうのところ、見ることがない。本人が自分で自分のことをどうこう思うよりも、行きずりの赤の他人の目に映った瞬時の姿のほうが、つまりは実装をあらわす。人の実在は、じつは見ても知らぬ人間たちの、たちまち薄れる印象に運ばれて、八方へ散って、いつどこで見たか忘れたけれど、そんなのがいたな、と何かの折りに触れて影ほどに思い出されるところで、顔も姿も失って、かろうじて留まる。無沙汰になった自分自身に出逢うにはまず、身も知らずの人間の目にならなくてはならない。