わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

現代詩文庫『高見順詩集』『清水哲男詩集』

 西荻窪の古書店「夢幻書房」が移転するそうで、閉店特売をやっている。在庫全品70%オフ。掘り出し物を探してみたが(なぜかおそらくTV放送当時の初期モデルらしき、百式やメタス、リック・ディアスハイザックなどのガンプラが置いてあった)、小説はツボにはまる作品はまったくなく、じゃあ現代詩関連は、と探したら、好きだけど詩集は『死の淵より』しか持っていない高見順、そして詳しくは知らないけど立ち読みしたら結構好みだった清水哲男の二冊があったので購入した次第。合わせて360円くらいだったかなあ。
 帰宅後、早速『高見順詩集』の巻頭数ページを読んでみた。病苦や死といった苦しみ、そして悲しみが常につきまとう作風は読んでいてつらかったりもするのだが、ひたすらつづく絶望的で悲観的な内容の中で、みずみずしい命の象徴のような言葉に突然出会うと、たまらなくいとおしくなってくる。例えば、「死」という作品。

こつそりとのばした誘惑の手を
僕に気づかれ
死は
その手をひつこめて逃げた

そのとき
死は
慌てて何か忘れ物をした
たしかに何か僕のなかに置き忘れて行つた

 最後の一行には再生の兆しのようなものが感じられる。逆の解釈もできるのだけれど……。
「新緑」という作品は、おそらく病床から窓外を見ているという設定だと思うのだが

そのとき
窓から
庭を見て
いきもののいのちに
いきなり触れた

 自然界に満ちる生命力を、一瞬のうちに分けてもらったような鮮烈さが感じられる。まあ、これも逆の解釈もできてしまうのだが……。

死の淵より (講談社文芸文庫)

死の淵より (講談社文芸文庫)

増殖する俳句歳時記―日本語の豊かさを日々発見する

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