仕事の合間に、気晴らしにこういうタイプの本を読むのはどうかと思うが、読んじゃったよ。ちょっとだけだけど。
「はじめに」を読んだ。なぜ身体性について論じなければならないのか、身体は芸術や思想とどのような関係にあるのか。そして身体性はなぜ現代において失われているのか。インターネット時代において身体とはどうあるべきなのか。あるいは身体性はどうなってしまうのか。そんなことが、次から次へと忙しく展開される。めちゃくちゃに広げているのではなく、「舞踊」という軸を一本、しっかり立てた上での展開なのだが。例を除いて、だけれど、ぼくにとっては一番わかりやすかった部分を引用。
芸術といえば、人は美術、音楽をまず考える。前者は視覚芸術と言われ、後者は聴覚芸術と言われる。だが、絵画でも彫刻でもいい、美術の感動はむしろその律動から、旋律から、調和から来るのである。逆に音楽の場合は、魅力の核心は音の広がりがもたらす空間の豊かさから来ると言っていい。いずれも目のみに奉仕するものでもなければ、耳にのみ奉仕するものでもない。舞踊と同じように、全身に奉仕するのである。いや、さらに分かりやすく言ってしまえば、美術も音楽も、広大な舞踊の富のその一部を肥大させたにすぎない。舞踊の混沌を強引に細分化したに過ぎないのである。
例、というのは、例えばこういう部分。
たとえばそれは、待ちの雑踏のなかを歩く青年の頭のなかで、誰かがはっきりと演奏したようにモーツァルトのト短調シンフォニーが鳴るというようなことだ。青年は、脳味噌に手術を受けたように驚き、感動に慄えるのである。あるいは、ゴッホの絵の前に来て愕然とし、その前にしゃがみこんでしまうというようなことだ。
前書きを読んだだけで、一冊まるっと読了してしまったような気分になるのが恐ろしい。
- 作者: 三浦雅士
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