作者の幼少時代?の子どもの遊びを描写した断片があった。何かを捕まえたり、比べっこをしたり、という子どもならではの遊びの、遊びとしての純粋さ、楽しさとしての無垢さ。無償の愛という言葉があるが、子どもたちが下ばかりみて何かを探したり拾ったり、小さな虫や貝などを捕ったり、というのは、無償の遊びともいうべき崇高さがあると思う。ま、残酷な、あるいはマヌケな一面もあるんだけどね。引用。
こんなに下ばかり見て歩き回っているのに子どもはウンチを踏む。昔は道のあちこちに犬のウンチがあったのが理由ではない。ハトを見るときハトは見るが犬のウンチは見ていない。クモも三つ葉も同じ。踏んだら途端にみんなが踏んだ子から離れる。踏んだ子は涙をこらえて家に帰る。そして明日また遊ぶ。
ハトとはハトのような羽根をもった蝶の一種のこと。クモとはジグモ(フクログモ)のこと、三つ葉とはカタバミのことで、いずれも子どもにとってはいいおもちゃだ。この短い文章のなかに、子どもの日常の喜怒哀楽のほぼすべてが凝縮されている。この描写、子どもに対する、いや違う、人生における「子ども」という時代に対する、深い愛情がなければ絶対に書けない。うれしいことも、おもしろいことも、悲しいことも、みな愛おしい。そんな感覚からしか、この文章は生まれない。