「群像」2017年12月号掲載。
近代科学の根本的な特徴は「知の蓄積性」にあるが、そこには、人間はどんなに科学的に知を積み上げていってもそれらはすべて仮説に過ぎず、この世界の真実すべてを把握し理解することはできない、だから知は終わることなく求め続けなければならない、という前提が存在している。この傾向とプロテスタントの「予定説」における、最後の審判で自分の運命がどうなるかわからないにも関わらず、自分は救われるという前提にたって清貧な信仰生活をつづけるという傾向との接点を探っている。古代、中世のさまざまな「帝国」は国外へ侵略し領土を広げていった際に基本は「陸続き」の経路を取っていたが大航海時代のヨーロッパだけは海を渡っていったことと、そこに知識人たちを同行させたこととは、この「知の蓄積性」の歴史的な行動の現れ。それまで未踏の土地をいい加減に描いていた世界地図が、この頃になるとわからない部分を空白にしたことは、真実すべてを把握し理解することはできない(=すべてを正しく理解したい)という欲求の現れではないか、という分析はとても納得できる。次号が楽しみw