五時四十分起床。曇りがちだが青空も広がっている。
仕事。某美容系案件を黙々と。夕方、ウォーキングを兼ねて整骨院へ。腱鞘炎の治療。痛みはかなりなくなっている。こうしてキーボードを使うことも、鉛筆であれこれ書くこともできる。
夕食は鮭のムニエルを食べた。
読書は佐々木敦「全体論と有限 -ひとつの「小説」論-」(14)。ロラン=バルトが残した小説の草稿、そして「小説の準備」と題された一連の講義について。断片を物語化することが、小説なのかもしれない。ちょっと引用。
つまり断片性とは、何らかの意味で想定もしくは加工される全体の一部分ということではなく、反=全体性のことなのだ。そして反=全体性だけが、全体性へと至る道なのだ。そうでなければ、小説は長ければ長いほど、全体に近づくことになってしまう。だが実際には、ごく短い小説が世界を丸ごと包含する、ということが起こりえる(それはボルヘス的な無限の内包というより、ある種の絵画がしていることに近い)。
断片の集合体が全体としての物語ということではなく、断片が反=全体として単独で存在しうること自体が、物語となり、言語を小説化していく。そういうことなのだと思った。