わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

いや、後者はないか。

 五時四十分起床。起きるや否や、冷え込みが厳しいと感じた。しかし、だからといって子どもの頃のように布団から出たくなくなるということはない。自制心なのか、それとも本当は寝るのが好きではないのか。いや、後者はないか。

 仕事。やるべきことが山盛りすぐて、「いつまでに」にしかフォーカスできなくなっている。品質や方法、それ以前に目的に意識を向けるべきだが、そうならない。こんな状況の時は、ミスが増える。もっとも、小さなミスだ。だが取引先にご迷惑をかけたという事実は変わらない。謝罪と、寛容な態度で接してくださっていることに対する感謝と。

 夕食は妻が買ってきてくれた佃煮弁当を食べた。アサリ、ちりめん、牡蠣。ほんとに佃煮しか入っていない。

 

 小池昌代「Cloud On the 空き家」(「群像」2023年2月号掲載)。和歌が好きな中年女性がようやくゲットした、不思議な仕事。

 

 

 

 

 

 

とりとめのなさだけが記憶に

 五時四十分起床。昔の記憶がシャッフルされ、トランプゲームならそのあと手札が背整然と配られたり並べられたりするのだろうが、あいにくごちゃまぜになったままの状態で、夢に出てきた。今の自分と子どものころの自分が同時に存在したり、子どもの時分が今の時間軸を生きたり、その逆になったり、とりとめもない。その、とりとめのなさだけが記憶に残っている。

 仕事。朝から某生命保険会社の案件に集中。詳しくは書かないが、テトリスのような案件だ。

 十七時三十分、ウォーキングへ。企画展の撤収作業から帰ってきた妻と駅で合流し、夕飯の弁当を買って帰宅。ハンバーグと蟹クリームコロッケが入っているモノにした。買い物中、ルミネに入っているアフタヌーンティーのあたりで、あれは館内放送なのか、それともアフタヌーンティーの独自BGMなのか、突然ぼくには耳慣れたピアノのメロディが聞こえた。David Sylvianの“Blue of noon”だ。坂本龍一がピアノ、弟のSteve Jansenがドラム、Sylvianがキーボード、という編成のインストゥルメンタル。たしかCD化されていないはずで、デジタル配信もない。YouTubeには転がってるけど。驚いた。


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 川崎徹「まだ生まれていない、三年後に生まれる」(「群像」2023年2月号掲載)の残り数頁を読んだ。現代の火事の映像に、第二次大戦中の空襲のイメージが重なる。人々が玉音放送を聞いている中で翼を広げて涼を取るカラスのそばに、戦死者の亡霊がやってきて声をかける。悲しさというよりは、異常。何かが静かに狂っている。その静けさが、静かすぎるから普通に思えてしまう。そんな作品だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

パンパンギッチリミッチリ

 五時四十分起床。ありがたいことに、仕事パンパンギッチリミッチリの日々がつづいている。今日も朝から仕事、掃除と買い出しを挟んで、また仕事。ランニングしたいのだがなかなか時間がつくれず、一方でノロウイルスからようやく完全に体調が戻ったところなので、なんとなくいきなり全力はまずいだろうから、という自制心も働いている。

 

 夜、エアロバイクしながら和山やま『女の園の星(3)』。ほんとに馬鹿馬鹿しくておもしろい。

 

 

 

 

五カ月目にしてようやく到達

 五時四十分起床。首が痛い。寝違えたようだ。

 仕事。某保険会社パンフレットの企画を黙々と。十一時から別の案件のオンライン会議。微笑ましく和やかな感じの打ち合わせだったなあ。

 午後は税理士と打ち合わせ。久々に代表のMさんとお会いした。最近はメインの拠点を沖縄にしていらっしゃるので、なかなか会えない。

 十五時三十分、歯科医へ。お盆休みに発症した歯肉炎、結局は歯根が原因とわかり、切除して、歯肉の処置をして、残った歯と無事だった歯根を保つための処置をして、仮歯を入れて、これを一年くらい使い続けてみる予定、というところまで今日、五カ月目にしてようやく到達。これでいったん治療は終了。次回は三カ月ごとなる。ふう。

 戻ってから作業再開。週末も仕事だが、まあ、なんとかなりそうな雰囲気。

 

 川崎徹「まだ生まれていない、三年後に生まれる」(「群像」2023年2月号掲載)。玉音放送。それが降伏、終戦の通知だとは誰も追わずに聞くことになるのだから、不謹慎なヤツもそれなりにいたはずだ、という視点から玉音放送を描いている作品は、決して多くないんじゃないかな。

 

 

 

 

少しでもより健康

 昨日の腹痛はどうやら便秘が原因。ノロ感染以来、便秘と下痢を繰り返している。朝まで痛んだ腹が排便すると一気にラクになったのだから、この仮説はおそらく正しい。若い頃、といっても30代後半か40代初めだったと思うが、その頃に感染したノロウイルスの症状は極めて軽く、寝込んだのは一日、その後は引きずったりなどしなかったというのに。加齢というのは恐ろしい。美しく歳を取ろう、なんて提案をする化粧品会社があるが、その美しさというのは健康面での衰えを隠すためのものなのか、それとも少しでもより健康でいつづけることが美しい加齢につながるということなのか。

 五時四十分起床。

 朝のうちは某保険会社のパンフレットに着手。

 午後は取材。某ゼネコン企業のSDGs勉強会に立ち会う。

 十七時三十分帰宅。少し休憩してからはひたすらメール対応と経理処理。お気に入りの作家/詩人である井戸川射子さんが芥川賞受賞。おめでたい!

 

 

 

 夕食はチャーハンを食べた。

 

 川崎徹「まだ生まれていない、三年後に生まれる」(「群像」2023年2月号掲載)。母親と姉の空襲体験、玉音放送、そして終戦直後の暮らし。文体は川崎さんらしく軽みがあるがしっかり本質を突いていると思う。

 

 

 

 

おそらく昼食をちょっと

 五時四十分起床。日中は調子よく仕事していたが、夕方になって腹痛。ノロウイルスの時の痛み方と同じだが、痛みは少ない。おそらく昼食をちょっと食べすぎたのが原因。まだ全然本調子じゃないな…。

 読書はできず。それなりに痛むので、今日は早く寝よう。

 

 

ありがたいことに山ほど

 五時四十分起床。ノロウイルスの腹痛、昨日よりさらに楽になっているが、まだ微かに残っている。かなりの重症だったということか。しかしもう問題なく食べられる。とはいえ便はまだまだ、という感じ。中途半端だよな、と思いつつ、書斎で黙々と仕事。某社パンフレットのコピー、某社提案用の企画書など。やるべきことは、ありがたいことに山ほどある。

 夕食は大根と牛肉の煮物など。肉も食べられるようになった。

 

 三木卓「来訪した者」(「群像」2023年2月号掲載)。新年短篇特集の掲載作品。突然の、ヌートリアの来訪。多和田葉子の「犬婿入り」を思い出した。