わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

宮崎誉子「欠落」読了

「新潮」07年9月号掲載。ニート小説がブームのようだが(もう過ぎたか…)、本作は派遣社員小説。ドラマ「ハケンの品格」に触発されたか。主人公たちが繰り広げる馬鹿っぽくて世の中をなめきった会話からは現代社会に対する抗体のなさが露呈し、それが就労時のつらい体験となって具現化する。
 本作、未消化な部分が多いような気がするが、格差社会が生まれた最大の原因は、ニンゲンとは自分より下の身分・境遇の存在があると安心できるという一点にあるというつらい主張を、ユーモアを交えなつつ、それでいて案外シビアに展開している。例えば主人公の鳩山は、派遣ではあるが仕事が見つかった直後から数回に渡り、引きこもりの友人ヤクマルの家を訪ねている。当初は

 ヤクマルの部屋は白い靴下がうっすら黒ずむぐらい汚くてホッとする。

 ヤクマルの部屋は閉じたままの変色しているカーテンさえも汚くてホッとする。

 と、明らかに下位存在であるヤクマルを馬鹿にしているのだが、新しい仕事であるテレホンオペレーターの研修で失敗ばかりがつづき、意気消沈すると

 自分よりも劣る男に会いたくなって、ヤクマルの家まで自転車をこいだ。

 と態度が一変し、会う動機が明らかになる。他者を下に見る、という態度から生まれるうす汚い癒し。はあ…。
 そして、終盤になるとヤクマルもまた鳩山を「下に見て」いたことが露呈する。

「(前略。鳩山は)困ると自分より弱い奴に、そいつの意思で手を下すように仕向けるの得意じゃん。友達のふりして値踏みしてんだろ? でも太一の愚かさって見てると自分より下がいるってハッピーになれるよ」

 結局は、同じ穴のムジナなのだ。
 タイトルの「欠落」とは、彼らに社会的順応力が欠落していることを描いた小説、などと短絡的に捉えてはいけないだろう。お互いを下の存在だと思い合うということは、両者には「関係」というもの自体が欠落しているのではないか。
 勢いで書かれたツメの甘い小説だとは思ったが、それをヌキにして読めばとてもおもしろく、社会批判性にも富んでいる。ニートについてあれこれ考えているひと、もちろんニート自身にもおすすめ。