わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

飯田章「雛」/リービ英雄「仮の水」

「群像」4月号掲載。読んだことのない作家。どんな作品を書いているのか、とWikipediaで調べたら、「日本人のレーシングドライバー」とある。同一人物ではないと思うが。この作品の著者かな。

迪子とその夫

迪子とその夫

 主人公は汎(ひろし)という名の、文筆でメシを食う中年男性。近所で美容室を営む女性から、触るの苦手だから巣から落ちたツバメの雛を拾って巣に戻してほしいと頼まれる、というエピソードで生と死の危うさを一端イメージとして伝えてから、ストーリーの中核となる、親しくしていた美容室の女性の父の突然の死へ。主人公が、その死をご近所の者として受け止める、ということから、家族の生や死などの記憶の断片へと意識が拡散してゆく。そして、最後にもう一度ツバメの巣から落ちた雛の登場。極力心理描写を抑えた文体。最近の流行、というかスタンダード化しているといってもいいのかな。ラストで主人公が雛を拾うシーンが印象的だったので、引用。生きている雛と死んでいる雛の対比が興味深い。

 汎が二羽の雛を拾い上げると、一羽は火照ったようなからだで震えているけれど、もう一羽はピクとも動かない。小粒の目を閉じて、物体の素っ気なさで、横たわっている。握ると、まだかすかなぬくもりが感じられる。「一羽は死んでますね」汎が片手にのせた雛を見せると、「あら、死んでるの」と江梨子さんが声をあげて、「打ちどころがわるかったのかもしれない」汎は言って、どうしますかと訊くと、「……わたしにください」と絢子さんが左手を差し出す。お弔いをして、庭に埋葬するのだという。(中略)汎は一瞬逡巡した。生きた雛は触れることもできないのに、死んだ雛なら平気なのか、と奇妙に思いながら、絢子さんの透けるようなピンク色の掌の上にこわばった雛をそっとのせた。絢子さんはその上に右手をかぶせて、さもいとおしそうに押し包んでいる。い見た者より、死んでるもののほうが心さわがずにすむのか……。

 
 今月の「群像」、リービ英雄も新作を発表していたので読んでみたのだが、ダメでした。リービの文章って、呼吸のリズムが違うというか、なんというか、美しい文体だとは思うのだが、なじめない感覚が強くて、どうしても読みすすめられない。『星条旗の聞こえない部屋』も読んだのだが、この違和感が強すぎて結局途中で放り投げちゃったし。うーん、今回の作品はタイトルが秀逸だからゼッタイ読めると思ったんだけどなあ。