「群像」2015年1月号掲載。イスラムも中国もモンゴルも征服欲は大陸・内地へと向かっていったというのに、なぜヨーロッパだけが海を越えることができたのか、という疑問を出発点に、イスラム教とのキリスト教の「聖地」に対する考え方の違いを考察している。いや、逆かな。聖地に対する考え方の違いから、ヨーロッパが海を越えて侵略を展開した理由を考察している。うん、どっちでも読める。
ヨーロッパが海を越えた理由を、大澤は、神がイエスという人間に受肉した(が他にも受肉できる可能性があり、それを追求した節がキリスト教にはある)という点に着目し、聖地という存在もまたローマという土地に受肉し、そして他の土地にも受肉するという考えから彼らは海を越えはじめた、と論じている。さらに、ヨーロッパ人が各地を制服した最も大きな動機として、大澤はカニバリズムへの恐怖を上げる。うん、たしかにぼくが子どもの頃はまだ人種差別や人種偏見が上の世代では強くて、テレビで未開地の原住民などが紹介されると「人食い土人」みたいなことを両親は平気で口にしていたし、そんな両親から子どもであるぼくは「原住民に食われるのはコワイ」という感覚をすり込まれていたような気がする…。