「群像」2020年11月号掲載。あと一章だけ読み残したまま、二週間以上放置してしまった…。
絶望とは悲劇に由来するものであるが、一方でキリスト教の福音書は反悲劇的正確があり、すなわち「喜劇」でもあるという点にキェルケゴールは着眼していた、と著者は考える。この人が神です、といった後に登場したのが神々しいアポロンみたいなイケメンだったり、白くて長いひげを蓄えた仙人みたいな人だったら納得だが、そうではなく、ガリガリに痩せた腰巻きいっちょのオッサンだったら、そりゃ確かに喜劇(というか、まっちゃんあたりが考えそうなコント)だ。神であり同時に人間でもあるという矛盾から生じる奇妙さ、こうした要素を重視するキェルケゴールの思想は、著者はニーチェにも通じると考えているようだ。詳しくは12月号、ということらしい。キェルケゴールはまともに読んだことがないのだけれど、ニーチェとは正反対の人だと思ってた。さて、どんな考察が展開されるのだろう。
▼大学生次代、ゼミで翌週に取り上げるからと急に言われて大慌てで読んだのを思い出す。和訳版だけでなく、原文も読んだんだよなあ。原文のほうは単語力がなさすぎて、さっぱりだったけど…。