わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

猫グッズが確実に

 今朝も五時四十分起床。眠気が消えず、身支度がなにかともたつく。

 午前中はせっせと掃除。キッチンに置いている食器棚、こまめに拭いているはずなのにホコリが積もっていて驚く。葵用の毛布や冬用のベッドを片付け、夏用のベッドを出してあげた。冬用の時はベッドに下に潜って掛け布団をかけるようにして寝ていたが、夏の時はどうだったろう。猫が葵に代替わりしてから、花子と麦次郎が元気だったころよりも猫グッズが確実に増えた。猫タワーは合計で三つあるのだが、以前はなかった。一人っ子は甘やかされる、といった偏見が世の中にはあるが、少しわかった気がする。

 午後は妻と吉祥寺へ。ニトリで掛け布団カバーと目覚まし時計。ニトリは初めて利用したが、商品のクオリティーが予想以上に高くて驚いた。ロフトで妻のトレーニンググッズと化粧品、ぼくのマスクなど。アトレで夕食用の角煮弁当。

 夜はランニングへ。14km。涼しくて走りやすい。人も少ない。

 
 
 
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 読書は「群像」6月号に掲載されている、小田原のどかの美術と政治の関係性を語る評論「近代を彫刻/超克する」の最終回を少しだけ。レーニンの遺体が(本人や遺族の意向が無視された形で)永久保存されていることは知っていたが、遺体の多くの部分がほかのものに差し換えられた形でイデオロギーの象徴として安置されているという事実は、政治的象徴として公共の空間に設置される彫刻とおなじ役割を果たしている、という著者の解釈はおもしろい。美術作品のなかで、彫刻だけが不思議と政治利用され、作り手もそれを受け入れてしまっているフシがある。ま、戦中には戦場に画家が出向いて戦地を描き国民にその様子を伝えるとともに国威発揚に貢献するということもあったが、そんな政治的意図を無視して独自の作品世界を描く人もいたわけだからなあ…。