わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

「雨の降っていない今のうちに」

 今朝も五時四十分起床。今朝も朝のうちは陽が鋭く明るいが、雲は多くその色は重い。雲の切れ目から差す陽光がコントラストでより強く輝くということ、なのだろうか。いや、それは光学的な話ではなく印象的な話か。

 身支度と朝食を済ませ、雨の降っていない今のうちに、とウォーキングへ。蒸し暑い。朝から人が多いように感じるのは、ぼく同様に「雨の降っていない今のうちに」という心理が多くの人の中に生まれているからか、それともいつもとおなじなのか。

 仕事。先日のインタビューの録音データを簡単に文字に起こす。三十分程度、相手は二名なので比較的楽だ。早めに片付いたので、昼寝をすることに。蒸し暑さのせいか、昨夜のランニングで少し疲れているのと、ここ数日の慌ただしさからの反動が、日曜日ゆえの気の緩みを生み、さらには眠気につながっている。

 

 三浦雅士『孤独の発明』、第十章「死の視線」。司馬遼太郎の紀行文に見られる俯瞰の視点を手がかりに、「見る」という行為が最も自分自身から離れたものでありながら、自分自身の主観が色濃く出た状態(と解釈した)である「俯瞰」という視点は、「死の視線」であるという考察。死とは、生命活動の停止ではなく、自分が不在となってもなんらかの形で空間なり時間なりを支配したい、影響を及ぼしたいと願う欲求に由来するものであり、その支配的な欲求が、高い位置から全体を眺めるという俯瞰の視点へとつながる、という解釈でいいのかな。