わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

川沿いを東へ

 六時起床。曇天だが時折陽が差す。朝から葵と追いかけっこ。ふくらはぎのあたりに数回襲いかかられた。

 朝食を済ませ、ランニングへ。昨夜はスタンバイしたところで雨が降りはじめて断念したので、そのリベンジだ。善福寺川沿いを東へ。

 
 
 
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 帰宅後、シャワーと掃除機かけを済ませてから青梅街道沿いのユニクロでパンツなど。雨つづきで乾かず、足らなくなってしまった。ついでにクイーンズ伊勢丹でパン。妻とサンドイッチにして食べた。

 午後は読書したりAmazonプライムで映画を観たりしてのんびりと。明日からまた激務がはじまる。

 

 読書は宮澤隆義「大江健三郎のquarantine」(「群像」2021年8月号掲載)。パンデミックの状況下、大江健三郎の後期作品を「quarantine=隔離」という視点から読み解くという試み。確かに大江作品には主人公なり重要な人物なりが隔離されるという状況は多い。それ以前に、ぼくには大江作品が、わかりやすいところでは戦後という時代や反原発といった現在の社会問題を敏感に反映させながらも、実はどこかで現実から隔てられた閉鎖的な世界でのみ展開しているような印象を受ける。ある種のマニアックなオタク向け作品(ほとんど読んだことがないけど)から感じる「余所者にはわかってもらえなくてもいい」的な雰囲気とどこかで共通している、というか。意識は社会に向けてひらかれているはずなのに、作品自体が一般的な小説作品、文学作品よりも閉じている、というか。その感覚と「隔離」は、何か関係があるのかも。本作を読み切ればわかるのかな。