わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

切っても切れない関係に

 今朝も五時四十分起床。

 身支度、動物たちの世話、朝食を済ませ、ランニングへ。微妙な冷え込みと風の強さに、何を着て走るべきか散々迷ったが、結局通気性のよい薄めのトラックジャケット&パンツ(と書くとカッコよく思えるが、要するにジャージだ)にした。西荻、上井草、善福寺、関町、吉祥寺、西荻のルートで13kmちょい。自分としては早めのペースで走ったら右脚が張ってきた。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 五十畑裕詞 (@catkicker001)

 

 午後は妻と荻窪へ。西友タウンセブンで買い物を済ませ、帰宅。

▼この本を買った。年末の大掃除などの参考に。

 

 夕食はキムチ鍋。妻がネットでレシピを調べ、ちょっと変わった感じになった。煮干しの出しと、コチュジャンではなく普通のみそを使う。マイルドだが深みのある仕上がり。

 

 長野まゆみゴッホの犬と耳とひまわり(23)」(「群像」2021年12月号掲載)。主人公たちが幼い頃に読んだ絵本の内容が詳細に描かれている。

 

 保坂和志「鉄の胡蝶は歳月の記憶の夢に彫るか(40)」(同誌同号掲載)。世話をしていた外猫のシロちゃんの死。保坂さんは猫の死を容赦なく徹底的に描き、掘り下げる。そもそも、文学とは「死」とは切っても切れない関係にある。詩も小説も、生と死を描くものだから。猫の死がつらい自分も、何匹も見届けたことで死になれてしまった自分も、容赦なく描き、容赦なく考察している。読んでいてつらくなるが、どこかに希望があるのでは、とも感じてしまう。