「群像」2017年5月号からはじまった新連載。
ある市場の入口近くにある「いちば食堂」での人間模様。庶民感覚あふれる内容なのだが、軽妙さと深遠さが同居した堀江敏幸らしい文体が心地よい。なぜこのタイトルなのかは、いまのところわからない。
「群像」2017年5月号からはじまった新連載。
ある市場の入口近くにある「いちば食堂」での人間模様。庶民感覚あふれる内容なのだが、軽妙さと深遠さが同居した堀江敏幸らしい文体が心地よい。なぜこのタイトルなのかは、いまのところわからない。
五時四十分起床。朝のうちは桜の映えそうな青空だったが気づけば色彩が消え微かにグレーを帯びた白く薄く平坦な雲が延々と果てなくつづくばかりとなっている。この平坦さと淡さが、どういうわけか、自分にとっての桜の記憶と、というよりも、花の記憶と結びつく。自分にとっては、グレイ・スカイのほうが花の色は映えるのかもしれない。
麦次郎、例によって外に出せとうるさいが、外階段の踊り場が虫だらけで辟易。さすがにイヤだったようで、夕方まで大人しかった。ぐーすかと眠りつづけている。コジコジは吐き戻しが平常時とおなじ量に戻ってしまった。だが夢中で吐いて食べてを繰り返す、ということがなくなった。声をかければ反応がある。行き過ぎた発情、という状態からは脱したのかもしれない。
仕事。夕方には落ち着いたので、郵便物を出すついでに、軽く散歩。あちこちで桜は散り、葉桜になりかけている。
夕食は妻がトビウオの刺し身を買ってきてくれたので食べた。うまし。白身魚の旨味は、おかしな話かもしれないが、牛のサシのほとんどないモモなどの赤みの旨味とちょっと通じる部分があると思う。
夜はランニングへ。善福寺川沿いを花見ラン。9kmくらいかな、を45分くらいで。
仕事が立て込んでいたので、読むなら軽いマンガかな、と書棚に並ぶこれを読みはじめたわけだが、ノリは軽いけど内容が深遠なんだよね。…ま、わかってて読みはじめたわけだけど。
六時十五分起床。雨。しとしとと、長く、果てがない。というのは印象だけの話で、雨足は時折途切れ、このまま止むか、晴れ間がのぞくか、と期待し、雨雲が切れる瞬間もあるのだが、気を抜いているうちに空の表情はたちまち元にもどり、やはり果てがないか、とついつい、諦めたような気持ちになる。こんな心境になるのは、花見をどうするかということでここ数日妻や友人たちと話していたからだろう。今週はあまり走れていない、走る時間を週末くらいは確保したい、という気持ちが強いというのもある。
麦次郎、外に出せと例によってうるさかったが、雨空を見せたらすぐに戻った。コジコジは求愛ゲロがまた増えはじめた。
午前中は掃除と買い出し。近所のコープまでの往復に傘はいらなかった。だが時折水滴が頬や手の甲を刺激する。
昼食を済ませ、妻は友人と伊勢丹のコスメイベントに参加するとかで外出。ぼくは書斎にこもって仕事。ひたすらMacやiPadと向き合い、キーボードを叩きつづけた。
夕食は午前中に買ってきたオーストラリア産の牛モモ肉でステーキ。最近は赤身肉を塩、コショウ、ニンニクとブランデーでシンプルに焼いたステーキがお気に入りだ。
食後、雨足が途切れていたのでランニングへ。12、3kmは走りたかったが、出発後すぐにポツリと降りはじめ、4km走ったところで傘をさす人が目立ちはじめた。こりゃやばいかな、ということで予定を変更し、5分30秒/kmペースだったところを4分30秒程度までスピードアップし、6kmくらいで終わりにした。ふう。
立川談志ひとり会 落語CD全集 第8集「長屋の花見」「田能久」
五時四十五分起床。低気圧。製薬会社が「喘息予報」というのを公開しているのだが、超注意のアラートが出ている。そのせいか、ちょっとまだ息苦しい感じ。だが軽い。水をゴックゴク飲んでから十五分くらい深呼吸を繰り返すと、たいていの場合、かなりよくなる。今回もこれで改善。
麦元気、コジ元気。
日中は資料の読み込みなど。
十八時、小石川で打ち合わせ。播磨坂は今が満開。
二十時三十分、帰宅。週末は仕事せなあかんが、今日はもうおしまいにした。
↓夕暮れ時。
↓夜はこんなん観て聴いてました。
Stick Men - 7 - Breathless (by Robert Fripp) (Live, Kiev 2012)
Tony Levin & Stick Men - Larks' Tongues in Aspic II (Live in Chile 2015)