わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

夢見が悪い

 一人の少年が、「アラジンと魔法のランプ」に出てきそうな急カーブのように刃の曲がったナイフでほっぺただの唇だのを人前で見せ物のように傷つけている。そんな後味の悪い夢を見たものだから時計はまだ五時をわずかに回ったくらいだったのだが、とても二度寝する気になれず、かといって起き上がる気にもなれず、夢を無理やり忘れるために、というわけではないのだが、布団の中で三十分ほどうだうだしつづけた。

 昭和の日。GW初日ではあるが、早朝から仕事。某案件の構成案とコピーをひたすら考えつづける。切り口が見え、構成も見えてきた、と勢いにのって手を動かすのだが、たちまちボロが出てしまう。思い掛けないところに、ふとした瞬間、例えば水を飲もうとコップに手をかけた刹那に、構成のゆがみや不備を見つける。慌てて修正するのだが、それを終えて、さてさっきまで進めていたところを、と頭を切り替えると、それまで考えていたこととはまったく別の着想が浮かび、こっちのほうがいいのではないか、と、それまでの作業を一気に反故にしてしまう。そんな、非効率な作業を繰り返していたのだが、カミサンが焼いてくれたパンで昼食を取り、十五分だけ仮眠して(なにしろ夢見が悪く、今一つ寝不足気味なのだ)午後になると、そうしたゆがみや不備、別の着想が出ることもほとんどなくなり、作ったものを掘り下げながら広げていく、というごく普通の作業に没入できるようになり、十五時ごろ、気付けばすべての作業が終了していた。

 急に老眼が進んでいる。眼鏡で作業している時は、意外にも均等に適度に見えているような具合なので大丈夫なのだが、コンタクトレンズにすると、極端に目が疲れ、かつ近くのものが見えにくくなり、かといって遠くのものも(極度の近視だから仕方ないのだが)よくわからない状態で、どこに焦点が合いやすいのかが、さっぱりわからない。そんな状況なのに、風呂で読書しようとすると、きちんと活字に焦点が合うのだから不思議なのだが。それはさておき、老眼が進んだせいで、手帳の文字が読みにくくなってしまった。書き込みも情報量が多いので細かな字になりがちなのだが、書いているときはそこそこ読めているのに、いざ読もうとすると、読みにくくなる。自分が書いた文字に拒否拒絶されているような、イヤな気分。というわけで、もっと大判のもの、あるいはほぼ日手帳のような1日1ページのものがいいのではないか、と考え、吉祥寺のロフトへ手帳を見に行ってみたのだが、やはり今使っている高橋書店の1週間バーチカル式B6サイズのものが一番つかいやすそうだ。手帳は買わずに、わらび餅を買って帰宅。珈琲を飲みながらカミサンと一緒に食べた。きなこが大量に余ったので、明日の朝、ヨーグルトにかけて食べようと思う。

 マンションの外廊下の蛍光管が切れかかっている。ウチのマンションは管理が自治なので、こういうのは自分で変える必要がある。西友へ行って30Wサークラインを買い、帰宅後すぐに交換してしまった。通電している状態での交換はちょっと怖かったが、全然大丈夫だった。

 夕食は唐揚げとサラダと野菜グリルを食べた。