わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

18.65kmと桜

 六時起床。朝のうちは曇りがちだったがすぐに青空がまさり、葵も窓際で日向ぼっこができるようになった。ここ数日強めだった風は収まり、穏やかだ。

 午前中は掃除、アイロンがけ。

 午後、妻が友達と閉店予定のカフェに顔を出すといって外出。ちゃっかりリサ・ラーソンの陶器作品をいただいて帰ってきた。

 

 ぼくはランニングへ。善福寺川ルートを18.65km。和田堀のほうも善福寺池も、ソメイヨシノがかなり開いている。そしてハナニラ水仙沈丁花の香り。コゲラヒヨドリムクドリシジュウカラコガモカルガモ、カワウ。犬、犬、犬。レジャーシートを敷き、ささやかな花見をしている人もちらほらと。少人数で、馬鹿騒ぎはせず、隣りのグループとは十分に距離をとって、というスタイル。

 ランニングのほうだが、意識してはいなかったのだれど、いつもよりかなりハイペースだった。

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 夕食は久々に麻婆豆腐と、ちょっとナムルっぽいもやしサラダをつくった。そして妻が買ってきた餃子や春巻きのセット。

 

 読書は尾崎真理子「ギー兄さんとは誰か —大江健三郎柳田国男」(1)(「群像」2020年4月号掲載)をようやく読み終えた。大江→柳田、柳田⇔花袋、柳田→吉本隆明共同幻想論』→大江/中上。中上の、「共同幻想論」が日本の小説を息の根を止めたという捉え方はおもしろい。そして中上は『岬』で、大江は『万延元年』で、それぞれ近親相姦とそれに端を発する破滅を語っており、この構造がアマテラスとスサノオの神話における象徴的な性行為、そしてそれを「対幻想」としする吉本の解釈へとつながっていく。ただし時系列的には『万延元年』と『共同幻想論』の前半は同時期のようなので、吉本とおなじ時期に柳田を読み込んでいた大江がおなじようなことを(作家として)考え作品に取り入れた、というのはなんだか運命的でおもしろい。中上はこのあたりを承知の上で『岬』を書いたわけではなさそうだけれど、どうなんだろう。

共同幻想論』。大学生の頃に読んで、つづけて『言語にとって美とは何か』も読んで、夢に出てきたんだよなあ、文章が。久々に思い出したわー。

 

群像 2020年 04 月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2020/03/06
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万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

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岬 (文春文庫 な 4-1)

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改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

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  • 作者:吉本 隆明
  • 発売日: 1982/01/16
  • メディア: 文庫