わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

YMO世代なのだそうだ

 五時四十分起床。曇天。今ひとつスッキリしないが、猫もインコも機嫌はいい。

 仕事。朝イチで某案件のための打ち合わせの資料を作成してから、事務処理のために銀行を回る。ついでに荻窪のベーカリー「吟遊詩人」でパンを購入。いつも店内に80年代から90年代前半のちょっとマイナーなロックのCDのジャケットが飾ってあるのだが(とはいえ、今日出ていたのはキース・ジャレットだった)、これは誰の趣味なのかと聞いてみたら、店主の趣味とのこと。ま、自分の店だから好きなコトするわな。YMO世代なのだそうだ。ぼくと一緒だ。

 

  十四時、Zoomで打ち合わせ。某案件のプレゼン、大幅な方向転換。

 十六時、内科医へ。喘息、問題ナシ。コロナ予防接種について聞かれる。まだ接種券が来ないというと、あなたは基礎疾患があるわけだから、届いたらすぐ予約しなさいと指導された。

 戻ってから作業再開。打ち合わせ内容をもとにアイデアを殴り書き。

 

 読書は保坂和志『猫がこなくなった』より、「ある講演原稿」。「群像」で連載中の「鉄の胡蝶は」とかなりカブっているが、文体や構成がまったく違うので、その違いが非常に面白い。「鉄の胡蝶は」ほどの迷走感はないかと思いきや、全体を思い返すと、実はかなり迷走、というか大きく蛇行している。