わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

「十一月三日午後の事」を思い出す

 五時四十分起床。妻は仙台「またたび堂」での個展在廊のため昨日から不在。ぼくはいつも通りに起きて、掃除やら動物たちの世話やら。そこに、いつもは妻がしてくれている洗濯が加わる。といっても自分一人分しかないから、たかがしれている。

 文化の日で休み(かつ父の誕生日)ではあるが、午前中は仕事。某案件のシナリオの修正。

 納豆そばをつくって昼食。その後は長い散歩へ。荻窪八幡、井草八幡とハシゴし、買い物をして帰った。7kmくらい歩いたようだ。夏日だそうで、早歩きするとかなり汗ばむ。毎年のことだが、この日になると志賀直哉の短編「十一月三日午後の事」を思い出す。

 

 

 帰宅後はカレーをつくった。ポークカレー。なかなかの出来。写真は撮り忘れたな…。

 

 永井玲衣「世界の適切な保存(19)」(「群像」2023年11月号掲載)。書くことを生業とする人を時折襲う「書けない」について。吃音と同じ状況なのではないかという考え、ちょっと共感できる。もっとも、ぼくは数回しか経験がない。

 

 

 大澤真幸「〈世界史〉の哲学 現代篇(26)」(「群像」2023年11月号掲載)。章タイトルは「メタユートピア」。アメリカに多く見られるユートピア思想やその実現化。明確な終末思想があるキリスト教が根付く国で、どうして現世にユートピアが求められるのか。他の欧州諸国にはほとんど見られない傾向。