わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

フォロン展へ

 五時四十分起床。雨。うわー、今日は東京ステーションギャラリーのフォロン展に行こうと思っていたのに。雨足が強かったら考えちゃうな、などと思いっていたが幸い午前中で雨は上がったので、予定通り妻と出かけることにした。

 十四時前に東京ステーションギャラリー着。「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」を観る。日本で言うとたむらしげるみたいな人なのかな、と思っていたのだが、作品の大半に社会的な、あるいは哲学的なメッセージ込められていて、そのシンプルでポップ、そして親しみやすいタッチとは裏腹に、考えさせられる要素が非常に多い。展覧会のタイトルに「空想旅行案内人」という言葉を使ったのは、空想的な世界観が広がっているという点では正解だと思うけれど、フォロンの(あるいはこの展覧会の展示内容の)本質を表現できてはいないと思った。

 

 妻と少しだけ丸ビル、新丸ビルオアゾなどをうろついてから帰宅。

 夕食は丸ビルの地下で買った銀鱈最強焼きと鶏西京焼の入った海苔弁当を食べた。

 夕食後は走ろうかと少し思ったが、明日は気温も少し下がって快適そうなので、朝ランすることにした。

 

 読書は「群像」2024年10月号の掌編エッセイ特集「おいしそうな文学。」をパラパラと。最果タヒの食事観(という言葉はなんか変な気がするが)というか、おいしいものとのつかずはなれず的な距離感、少し共感。

 ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(3)」(同誌)。abolitionistという単語は知らなかった。もともとは死刑制度の廃止運動や奴隷解放運動に関連する言葉らしいが、作中ではトランスヒューマニズムという加齢からの解放や肉体的苦痛からの解放のための人間の(意識の)データ化を主張する人々のことを指す…らしい。こういう発想がSFの世界の話ではなく、もはやマジになっている感覚は確かにあるな。「銀河鉄道999」に登場する機械の体は、もはや一部が現実になっている。