わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

工藤庸子「大江健三郎と「晩年の仕事」」 第二回『憂い顔の同時』——セルバンテス、ジョイス、古義人

「群像」2020年5月号掲載。とても文体が素敵で大江愛にあふれている工藤庸子氏の連作評論。今回の掲載分30ページ近くあるうちの、まだ5〜6ページしか読めていないのだが…冒頭部の、大江さんの「Rejoice!(喜びを抱け!)」の書き間違えのエピソードがおもしろい。イェーツの作品の引用の中でなのだが、「Rejoyce!」と書き間違えている。わはは。確かに、これじゃ「ジェイムス・ジョイスを読み直せ!」みたいな意味になっちゃう。このエピソードは柳瀬尚紀訳『フィネガンズ・ウェイク』文庫版に寄せた〈序文〉でも触れられているそうだ。『フィネガン』はハードカバーで買ったのだが、読み込んで読了するようなタイプでは作品ではないと思っているので(日本で、あるいは世界全体で、あの作品を、きちんと意味や物語の展開を理解しながら読了できた人は、いったい何人いるのだろう…)気が向いた時にしかパラパラしないし、文庫本が出ていたこともノーマークだったので、この話は全然知らんかった。

 ちなみに評論の本筋のほうは、大江がジョイスをかなり読み込んでいるという話から、20世紀を代表する作家の一人であるエリオットの話、そして『おかしな二人組』シリーズに移り、さらにプルーストへと移っていく。大江文学とプルースト、接点があるような、ないような。

 

 

ワタクシ、プルーストは未読です。

 

工藤さんの作品も、この連載以外は読んだことがない。これは気になります。