わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

時間の経過が時間に対するルーズさをつくる

 五時四十分起床。大抵はアラームがなる五分ほど前に目が覚めるのだが、今朝は音のほうに出し抜かれた。昔ながらの目覚まし時計なら無意識のうちに止められるのだが、スマホの場合はそうはいかないようで、まず数秒呆然とし、スマホだ、と気づいてから、たった数タッチの操作だというのに、やたらともたつく。そのもたつき具合にいらつくでもなく、無意識に受け入れてしまっているようで、これが、この手順が、朝のルーティーンなのか、と思うと、なんだか一気に歳を取ってしまったような気がするが、実は歳なんて常に一定の分だけ取っているわけなのだから、こうしたもたつきも、年年歳歳、徐々に重ねながらできてきたものではあるのだろう。時間の経過が時間に対するルーズさをつくるとは、皮肉というべきか、なんというべきか。

 海の日だが、仕事。某企業の新商品のネーミング。昨日まではまったくノーアイデアだったが、鉛筆(シャーペンだったけど)を握って紙にアレコレ書いてみると、不思議なことに、どんどん浮かび上がってくる。その大半は使い物にならないわけだが、時たま、いいものが紛れている。それをいくつか拾い上げてみると、そこからバリエーションが、たとえは悪いがネズミ講のようにバンスカと生まれていく。ま、その大半もまた使い物にならないわけだが。コトバの、よくわからんエコシステムというか、ヒエラルキーというか。

 手づくりサンドイッチで昼食。パンはパスコの超熟をつかった。

 夕方、妻と買い出しへ。

 日が暮れてからは、一人でウォーキング。生後六カ月くらいだろうか、ラブラドール・レトリーバーっぽいワンコが、トレーナーから訓練を受けているのを見かけた。シットだのコーナーだの、指示するコトバが聞こえてくる。その一つひとつを覚えるのが、楽しくて仕方ない。そんな表情をしていた。

 夕食は鮭の粕漬け。うまし。平野レミの料理番組を観ながら食べた。

 

 保坂和志「鉄の胡蝶は(以下略)」(「群像」2022年8月号掲載)。時折、激しく共感できる部分に出会うことがある。これだから、この作家の作品はやめられないのだ。

 永井玲衣「世界の適切な保存(4)」(同誌同号掲載)。相手の話を、ただただひたすら聞くということ。そこに論理的破綻があっても、聞くことによって飛び越えることはできる。