わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

今日の事件簿

  • 切ったところが少し痛い事件
  • ひたすら生命事件
  • あおちゃん食べない事件
  • れんこんきんぴら事件
  • ぶりぶりぶりぶり事件
  • 新たなる始まり事件
  • エリカちゃん執行猶予事件
  • ここどこだよ事件
  • あおちゃん食べてる事件

 ▼今日になって、先週の「モーニング」を読んでいる……。

終電ちゃん(7) (モーニング KC)

終電ちゃん(7) (モーニング KC)

 

 

 

 

 

今日の事件簿

ひとつのことをひたすらと事件

おかわりみそしるたまご事件

食パンはやっぱりアンセン事件

指切った事件(皮だけ)

 

▼愛用の絆創膏はキズパワーパッド。キレイに治る。

 

ポール・オースター/柴田元幸訳『ガラスの街』

 少しずつ読み進めている。私立探偵ポール・オースターに間違えられたクインは、虐待を受けながら育ったらしい依頼人を出所してくる彼の父親から守るという依頼を受け、その準備を始める。クインはノートにメモを書き出すが、状況ゆえなのか、それともクインの性格なのか、よくわからないが、そのメモの内容も文体も、なんだかおかしい。違和感が溢れ出している。

 

ガラスの街 (新潮文庫)

ガラスの街 (新潮文庫)

 

 

 

インヴィジブル

インヴィジブル

 
冬の日誌

冬の日誌

 
ポール・オースター (現代作家ガイド)

ポール・オースター (現代作家ガイド)

 

 

「理想」だけ

 五時四十分起床。いい内容の夢を見た気がするのだが、さっぱり思い出せない。目覚めてすぐにメモしておいたのだが、見返してみたら「理想」としか書いていなかった。自分にとって理想の世界が広がっていたのか。理想の自分になっていたのか。理想的な仕事をしていたのか。仮説を広げることはできるが、立証はできない。むむむ。

 曇りがちだが青空も覗いている。立春だがまだまだ空には冬の名残が色濃く残っている。だが気温は春めき、この時期の寒さとはどんな感じだったのかを、さっぱり思い出せなくなっている自分に気づいた。窓を締めきっているので外気は遮断され、朝日がしっかり差し込んできている。葵が心地よさそうに日向ぼっこしていた。

 仕事。某金融系案件。あまりスケジュールがないのだが、資料が膨大なので今日はひたすら読み込み、ノートをつくっておいた。これで一日が終わってしまった。むむむ。

 

 ▼ノートはCampusのリングノートを愛用中。

コクヨ ノート リングノート 4冊パック 6号 セミB5 B罫30枚 ス-T602B
 

 

 

 

今日の事件簿

  • なぜか身支度の手際がいい事件
  • 楽器の寄付とふるさと納税事件
  • やっぱりファイロファックスはいいですね事件(結局戻ってきちゃった)
  • 昼食ムラ食い事件
  • 義父とバッタリ事件
  • Sさん尊敬してます事件
  • 豆をまく=食品を無駄にする、と思ったら豆をまけなくなったので2粒だけにした事件
  • 葵が豆をチェイス事件
  • 鰯は竜田揚げで事件
  • 批評の未来事件

 

 

▼ほぼ日WEEKSを使ってみたけど全然しっくりこなかったので、結局コレに戻した。リフィルは自作。ウィークリーのリフィルは自作が大変なので、マンスリーだけで使ってる。iOSのカレンダーアプリがメインだから、紙の手帳はマンスリーでも十分。ちなみにペンはパーカー・ソネットのマルチ。リフィルはジェットストリームにしている。

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春の気配すら

 六時起床。身支度をしていると葵が遊びに来たので構ってあげたら、そのままずっとベタベタされた。だが、声をかけたらたちまち逃げた。気まぐれな猫だ。

 

▼最近のお気に入りらしいポーズ。

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 午前中は経営関連の読書、掃除など。お気に入りの革靴の手入れもしておいた。

 午後は妻と歩いて吉祥寺へ。だいたい3km。天気がいい。風が吹かなければ、日向は暖かで春の気配すら感じてしまう。

 吉祥寺美術館で開催中の「千田康広 -イメージからの解放-」を観る。詳細別項。その後はあれこれ買い物。帰りも歩いた。

 夕食は餃子鍋。昨日義母からいただいた白菜を入れたら、ガラスープと相性がいいらしく、甘みが強くなったようだ。

 

 

吉祥寺美術館「千田康広 -イメージからの解放-」

 世界的に活動する現代美術作家のインスタレーション。光(と闇)、そして自然が本来持っている美を、「加工」によって最大限に引き出したり、違う魅力を生み出したりするのが巧み。展示されているのは交錯しながら上昇するする短い光の中に包まれる体験型作品がメインで、あとは小品が少しだけでしたが、光を素材にした過去の作品のダイジェスト映像(といっても30分)も、さまざまな光の形や色、変化を感じることができて、素晴らしかった。

 社会や政治を直接批判するための芸術、抗議するための芸術、訴えるための芸術、怒りをぶつけるための芸術、といったものに、ぼくは基本的に魅力を感じない。芸術とは、美を起点にし、美を目的にし、美に奉仕し、そして新たな美を生み出すためのものだ。そのプロセスや完成品の鑑賞を通じて、感動し、場合によってはその理由について考え、解釈する。そういうものだと思っている。今朝の朝日新聞の朝刊でも坂本龍一が「音楽の力」という言葉に対する抵抗感について訴えていたが、まったく同感。今回の千田さんの作品も、自然美を、あるいは宇宙全体を礼讃し、その本質的な美に向き合い、人間として何ができるかを考え抜いたすえにたどり着いた表現なのだと思う。美のための美は、強く、そして揺るがない。
 ちなみにワタクシ、最近は「より言語化しにくい作品」を積極的に見るようにしています。

 

chidayasuhiro.com