五時四十五分起床。平成の終わりと令和の始めの長い休みがようやく終わり、ニュースではその長さゆえに生じたさまざまな歪みやらすき間やらをしきりに報じている。社会や市場の構造、機能といった面だけでなく、個人の心にも歪みやすき間は生まれたようで、それを問題視する人も多い。画一的な休暇は多様化を志向する現代の流れに反するという声もあるが、ならば休みに働くのも多様化とも言えそうで、考え出すとたちまち思考がループする。
仕事。朝イチで、連休中に進めておいた案件を確認し、一気に納品する。仕事の依頼やアポイントの連絡もちらほらと入ってきた。もう少しスロースタートなのかと思ったが、案外そうでもないらしい。休みは時に焦りを誘発するのだろうし、時間的余裕は実際になくなる。
事務処理のために銀行にも行ったが、ビビるほどの混雑ではなかった。
夜は5kmだけランニング。
三浦雅士『孤独の発明』。うたげ=集団、孤心=個人。そこから生まれる文学的価値。著者は、軽くではあるが「笑い」についても言及している。
片岡義男「窓の外を見てください」(「群像」2019年5月号掲載)。主人公の男性は感情に乏しく淡々と、かつ論理的・時系列的にモノを考え語る。これは片岡作品にある程度共通しているかもしれない。